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まるで普通のホテルと変わらない。迎えられ、部屋へ案内される。エレベーターで8階まで昇り、深紅の絨毯が敷かれた廊下を歩き、月の紋章が飾られたドアの前で止まった。
「こちらのお部屋になります。部屋の中には砂時計がありますので、砂が落ちきるまでごゆるりとお過ごしください」
案内してくれた長い髪をひとつに結んだ若い女の人は優しい目をして、15分前にお声がけに伺いますと頭を下げた。ジャケットにタイトスカート、主の色はベージュ。ポイントに藍色。変わったところなど何もないように見えた。ツアーのドッキリ企画とかじゃないのかしらとはるかは少し期待してしまう。
「おお」
先に部屋に足を踏み入れたKIZAKIは声をあげた。なんというか、独特な部屋だ。落ち着いた青のベッドカバーがかけられたベッド、基本的にはライトグレーの毛足長めの絨毯、部屋の半分に一畳の畳が置かれ、畳の上にはテーブルがある。テーブルに程近いところにナチュラルカラーのローチェスト、その上にはイラストを描く道具が所狭しに置かれている。
「本当に、そういう場所なんだな」
感動したような、現実を直視してしまって痛いような顔をしてKIZAKIはため息をついた。訳が分からずに首を傾げると肩越しに振り向かれた。
「ここ、僕の部屋」
「⁉」
どういうサプライズだ。憧れの絵師に会えたこと、イラストを描いてもらったことだけでも余りあるのに、住んでいるリアルの部屋まで知ることができるなんて。
KIZAKIは慣れた動きで靴を脱いで上がり、リュックを入ってすぐの所に置いて、振り向いた。
「ベッドに座ってよ。僕、絵を描くのは畳の上が好きだから、椅子置いてないんだ」
「あー、えっと、あの……おじゃま、します」
「どうぞ」
ニコリという笑みが反則級に心臓に響いて別の意味で昇天しそうだとはるかは割と真剣に思う。ぎこちない動きで手土産の代わりにといった気分で布リュックからノートを取り出して両手で差し出した。
「こちら、つまらないものですが」
「こら、そういう風に言っちゃダメ! 大切な作品でしょ」
少しだけ怒ったような真剣な目に気圧されるようにはるかは頷いた。KIZAKIが大切なものを扱うようにノートを受け取ってテーブルの前に陣取る。そして、真剣な顔でページを捲り始めた。……居た堪れない。恥ずかしい。はるかは気を紛らわせようとして視線を彷徨わせ、描いてもらったイラストに目を落とす。
私も書きたい。はるかは湧いてくる物語を取りこぼさないように予備に入れておいた2冊目のノートを取り出して猛然と書き始めた。
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