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はるかが時間を忘れるくらいに書いて、書いて、ひと段落ついて顔をあげた先でKIZAKIは絵を描いていた。あまりにも真剣で、何の絵を描いているのか覗きに近寄るのも憚られる。はるかは真摯なその面を静かに見つめた。目に焼き付けるように。
しばらくしてKIZAKIが動きを鈍らせた。はるかはあることに気付いて身を竦ませた。白い肌には結露が起きていた。信じたくないけれど、亡くなっているという事実を目の当たりにしている。
コンコンとドアがノックされた。ホテルの人が来ると言ったのは15分前だ。返事を待たずに静かにドアが開いた。
「チェックアウトのご挨拶に参りました」
まだ手を止めないKIZAKIを見ても咎めるような顔はせず微笑する。
「ぎりぎりまでどうぞ。憂いが晴れますように」
こちらに向き直りとても丁寧に頭を下げたので、慌ててはるかも頭を下げた。
「あなた様は生者ですので、形見分けに此方のリュックお持ちになりますか?」
「いやいやいや、それはKIZAKIさんのです」
ぶんぶんと首を振ると、そうですかとあっさり頷いた。
「砂が落ちきりますと、元の場所で目が覚めます。どうぞ命を全うされますよう」
砂時計を見そうになって目を逸らす。見るのが怖かった。彼女は丁寧にKIZAKIへと正座して頭を下げた。
「お疲れさまでございました。秘芽崎 綺沙樹さま」
一泊遅れてそれが本名なのだと気付いたはるかは聞いて良かったのだろうかと狼狽えた。絵を描いていた音が止まった。
「すごい名前でしょ」
「いえ、格好良いです」
思わず素で絶賛してしまい我に返り赤面したはるかにKIZAKIは恥ずかしそうに、嬉しそうに笑った。少しぎこちない動きではるかへと体を向ける。
「ありがとう」
ぼろっと涙が溢れた。一分一秒でもこの目に焼き付けたいと思うのに視界が歪む。ぶんぶんと首を振る。
「ありがとうはっ、私の方です! 絵を描いてくれたから、主人公に何度でも会いたくなって、書けたんです。書き続けようって思えたんです、だからっ」
ドンドンドンッ 激しいノックの音が響いた。返事をするも何度も叩かれ、はるかは声を荒げてドアの外に怒鳴った。
「なんなんです!?」
ばんっとドアを開けたのはツアーの中で見かけた白いスーツを着ていた年配の女性だった。ぎょっとした顔をしたその人の背後からホテルマンらしい声がした。
「部屋はお隣ですよ」
謝罪もせずにその人は激しい音を立てて去って行く。彼女も一緒にいた人を亡くしたのかもしれないけれど、最期の時間を邪魔されたはるかとしてはふざけるなとしか思えず、一言ぐらい怒鳴ろうかとして……しゅるっと滑り落ちる音を聴いた。何故かそれが砂時計の砂の落ちきる音だったとわかった。
「あ……」
『僕のサイゴの作品は君にあげるね』
達成感溢れる笑顔が弾けて、ぐらりと揺れた。傾いだ体に手を伸ばして、視界が暗転する。
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