第一話 殿下、私と結婚して下さい!

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第一話 殿下、私と結婚して下さい!

 ◇◆◇◆◇◆◇◆あらゆる水、川、海、泉、湖、滝、インスピレーション、浄化、慈しみ、情、命の誕生などを司る水命界(すいめいかい)、「マナンティアール王国」、魔塔内のとある一室にて◇◆◇◆◇◆◇◆  「……フン。挨拶は型通りこなしても、顔は見せたくないってか? エルフリーデ・レイラ・アファナーシーよ。一般的な常識からして、羽織り物は脱ぐのが礼儀だろう?」  男は不快感を露わにし、キリリと整った漆黒の眉を顰めた。髪と同色である濡れ羽色の、長い睫毛の帳に囲まれた切れ長の双眸は玲瓏たるルビーレッドだ。そこに映し出されているのは、墨色のフードつきローブに全身を包み込むエルフリーデ・レイラ、アファナーシー公爵令嬢、その人だった。  「申し訳ございません、リュディガー・アヒム・シュトラール第一王子殿下。無礼であるのは重々承知なですが。この見苦しく不吉な姿を晒す事の方が不敬に当たると、何卒お許し下さいませ」  フードを目深に被った彼女から、どことなく水琴窟を連想させる声が紡ぎ出された。 「その通りかどうか判断するのはこの俺だ。噂ほどあてにならぬものはないからな。サッサと素顔を晒して要件を言え! それで、『俺の今後に関する重大な話』とやらは何だ? 『魔塔主』であるこの俺に人払い迄させた上に完全防音魔法まで施させたんだ。くだらん話なら即首を切るぞ!」  チェロを思わせる奥行のある声音が、鼓膜を震わせる。その声質のせいか、声を荒げてもエルフリーデにはちっとも恐ろしく感じない。口は悪いが、高潔で情に篤い彼の隠された本性を知っているからだ。  だからこそ、エルフリーデは一縷の望みを彼に賭けた。 「ええ。こちらとしても一秒たりとも無駄な時間を過ごすつもりはありません。先ずは結論から申し上げたいと思います。不躾にも、単刀直入に発言する事をどうぞお許し下さい」  エルフリーデはそう答えつつ、目深に被っていたフードをそっと外した。ブロンドがかった亜麻色の髪が白い頬にハラリと流れる。零れそうなほど大きな瞳は、月の光を湛えたようなグレーだった。ひたりと男を見据える。ここからが、生き残りを賭けた正念場なのだ。ともすると崩れ落ちそうになる己に喝を入れる。  『やはりとはあてにはならんな……』 リュディガーはそっと溜息をつくように呟いた。誰にも聞かれぬように小さな声で。どうやら彼女のグレーの瞳は、光の加減によってグリーンにもブルーがかったようにも見えるようだ。  (グレームーンストーンみたいだな……) 「早く申せ!」  ぞんざいな口調であしらいながらも、内心では射貫くように自分を見据え、どこか思いつめた様子の彼女の瞳を宝石に例えていた。  「殿下、私と結婚して下さいませんか!?」 だがその台詞を耳にした瞬間。己の立場も何もかも吹っ飛んで立ち上がった。バサバサと音を立てて机の上に山積みとなっていた本や資料が床に落ちて行く。 「はぁ?」  場にそぐわない声が出てしまったとしても仕方あるまい。全く予想だにしなかった台詞が飛び出したのだから。床に散らばった物を拾おうと足を踏み出すエルフリーデに、右手を軽くあげて制した。床に落ちた資料や本はふわりと空に浮かび上がり、彼の魔術により意思を持ったように机の上に戻って行く。  じろりと彼女を睨みつけると、怒りに震える声で問いかけた。 「今、何と言った? 俺の耳がおかしくなったのか? 俺と結婚してくれ、と聞こえたが……」 「ええ、そう申し上げました」 あまりに平静な様子の彼女に、リュディガーは思わずカッとなった。 「お前、ふざけるのもいい加減にしろ! お前と親しく会話した覚えもない上に、第一お前は第二王子(義弟)の婚約者だろうがっ!!」  びくりと肩を震わせつつも、エルフリーデは彼から視線を外さなかった。 「申し訳ございません。おっしゃる通り、現時点では殿下と接点はございませんし、ラインハルト・オースティン第二王子殿下の婚約者でございます」  必死に言い募るエルフリーデを、「飛んでもなくふてぶてしい奴だ」と苛立ちながら見つめていたリュディガーだが、彼女の小さな手が小刻みに震えている様子に気が付いた。更に、元々青白い頬が益々色を失っている事、加えて瞳が潤んで来ている事に、漸く彼女の切実さに思い至った。  ふーっと息を吐き出して気持ちをリセットする。 「……すまない、取り乱した。いきなり結婚を申し込んで来るとは、よほどの事情があるのだろう、話を聞こう」  と、穏やかな眼差しを向けた。少しだけ緊張が解けた様子の彼女に安堵する。 「いいえ、こちらこそ大変失礼を致しました。ですが、一刻を争うのです。私のは……ご存知ですね? 第二王子殿下との件も含め」 「あぁ、あくまでだがな」 「私自身の噂はともかく、第二王子殿下の件は真実なのでございます」 「本当なのか? お前という婚約者がありながら、お前の異母妹と浮気をし、あまつさえお前と婚約者破棄をし、異母妹と婚約をし直すという愚かな事が?」 「ええ。私は婚約破棄をされた上、処刑もしくは国外追放をされた後に暗殺、そのどちらかを辿る羽目になるのです」  淡々と話す彼女だが、唇の色が青い上に呼吸が酷く浅い。彼女の言の葉の真偽を確かめるまでもなく、本音を晒して真剣そのものなのは見て取れる。にわかに信じる事は難しいところではあるが…… 「……それが本当だと、どうして分かるのだ? 未来(さき)の話だろう? それで、俺と結婚する事に何の意味があるのだ?」  まるで見てきたかのように言うところが気になった。妄言だと判断するには違和感を覚える。  「殿下と私の結婚は、生き残りを懸ける為なのです。勿論、『偽装結婚』で構いません。私は、もう七回も人生が巻き戻っているのです。今回で八回目となります。ですから私は、七回ほどして来たのでございます」  エルフリーデはゆっくりと語り始めた。
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