1.銀平の雪

1/7
64人が本棚に入れています
本棚に追加
/261ページ

1.銀平の雪

 その目が生意気だと言って、父親は(ゆき)をよく殴った。  父の富市(とみいち)は元々、腕の良い(かざり)職人であったらしい。らしい、と言うのも、雪が物心ついた時には碌に仕事もせず、日がな一日酒浸りになっている姿しか見ていないから。だから、かつて父が図案を彫った簪が江戸の女子の間で飛ぶように売れたと昔語りを聞いても、俄かには信じられなかった。  父親の絶頂期を象徴するような銀の簪は、今も母親の褪せた髪の間できらりと光っている。雪の結晶を模した繊細で美しい銀平(ぎんひら)。雪はこの銀平が飛ぶように売れた年に生まれたから、その名がついた。  錺職人は自分で仕事を見つける商売ではないから、生活の良し悪しは発注元である小間物屋や仏具屋によって決まる。そして、一発当てた錺職人の宿命に従い、富市の元には流行りの銀平の注文しか入らなくなった。  同じものを作り続けるのは、いずれ飽きがくる。新しいものは求められず、ただ流行りの銀平ばかりを作らされる。富市が酒に手を出したのも、ほんの憂さ晴らしのつもりだったらしい。根っからの職人気質であった富市にとって、漫然と消化するだけの仕事は身に応えた。だが、生活のためには引き受けなければいけない。発注が増えるたびに酒の量も増え、気がついた時には職人の命ともいえる手に震えが生じるまでになっていた。
/261ページ

最初のコメントを投稿しよう!