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「迎えが来たぞ」
そう言われて振り返ると、独房の入口を塞ぐように立っている大きな男が目に入った。
「あなたは…ムッシュ・ド・パリ」
フランスでその名を知らぬものはいない。ムッシュ・ド・パリと呼ばれるその男は、シャルル=アンリ・サンソン 。パリの死刑執行人だ。
アンリ・サンソンは、代々死刑執行人の家に生まれながらも王族や貴族と親しく付き合ってきた過去があり、国王陛下とも面識があったはずだ。しかし、陛下もまた、この男の手によって処刑されている。
「マダム、こちらへ」
重々しく声を発すると無表情のまま私を見た。
目が合ったのは一瞬だ。
私もまた、どこかでこの男と出会っていたかもしれない。忌まわしい死刑執行人として周囲に疎まれてはいたが、十分な俸禄をもらい、貴族と変わらない生活をしていると聞いたことがある。当然ながらヴェルサイユへの出入りも許されていただろうし、合っていたとしても不思議ではない。
かつては王の名のもと、罪人の処刑を請け負ってきたサンソン家の当主だが、革命が始まってからはギロチンによる処刑を全て取り仕切っている。今ここで私が親しげに話しかけたりしたら、彼にどんな災厄が降りかかるかわからない。
私は視線を合わせぬまま、アンリ・サンソンの前に進んだ。
彼は素早く私の後ろに回ると、両手の手首を合わせて後ろ手にひもで結んだ。
そして「あぁ、いよいよなのね」と思った瞬間、私の長い髪を左手ですくい上げた。
私が思わず息を飲むのと「ジャキッ」という鋏の音が耳元で聞こえたのは、ほぼ同時だった。彼は右手で持った大きな鋏で、少しの迷いもなく私の髪を切り落としていく。
頭ではわかっていた。
ギロチンの刃が首に当たる時、髪があったら邪魔なのだろう。
でも。それでも。
こうして誰かに後ろから髪に触れられるとき、私はいつも安心して身を任せてきたのだ。
小さなころから「綺麗な金髪ですね」とため息をつかれ、丁寧にブラシや櫛で梳き流されてきた。
革命の嵐の中ですっかり白くなってしまったけれど、それでも私にとって長い豊かな髪は大切な自分の一部だった。
私は無情な鋏の音を聞きながらぎゅっと目をつむり、何もかもが早く終わってほしいと強く願った。
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