2 革命広場と断頭台

3/3
前へ
/7ページ
次へ
荷馬車が止まり、降りるように合図される。 立ち上がった時、座っていた荷台に血が付いていないか確認すると、そこはきれいなままだった。 タンプル塔に幽閉されてから不眠と体の不調が続き、不正出血がみられるようになってしまった。コンシェルジュリーに移送された時には馬車の座席が真っ赤に染まるほど出血し、それからはひどくなる一方だった。 けれどどんな体の痛みも、引き裂かれる心に比べれば耐えられないものではなかった。 その苦しみも、もう終わる。 嘆き続けて永遠に続くと思った夜が、やっと終わるのだ。 よくぞ今日までもってくれたと自分の体に感謝しよう。 昨日から何も口にしていないけれど、あと少しだけ気力だけで持ちこたえなければ、と自分を奮い立たせる。 そんなふうに最期の一歩まで気を抜かないつもりでいたのに、荷馬車から降りた時に足が滑ってしまい、隣で支えようとしてくれたアンリ・サンソンの足を踏みつけてしまった。 「おゆるしくださいね、ムッシュウ。わざとではありませんのよ」 私がそう言うと、彼は「いいえ、マダム」と言った後、後ろ手に縛られている私の手の中にすばやく何かを握らせた。 そのまま耳元に口を寄せると小さな声で 「決して放さないでください。これがマダムをあの方の元に連れて行ってくれるでしょう」 と言ってすぐに離れて行ってしまった。 驚いて握った右手に意識を向けると、それは小さくて尖った金属のような感触だった。 (十字架かもしれない。これを握って天へ召されれば、きっと陛下に会えるのだわ) 私は陛下と親交が厚かったムッシュ・ド・パリの慈悲の心に感謝し、ひとつ深呼吸をすると断頭台への階段を上がった。 さっきまで大騒ぎをしていた民衆が、しんと静まり返っている。 誰もが世紀の瞬間を見逃すまいとするかのように、らんらんと目を凝らしていた。 私は空を見上げてフランスに別れを告げると、導かれるままに断頭台に身を横たえた。 1793年10月16日12時15分 フランス王妃マリー・アントワネットは、フランス革命の名のもとにギロチン刑によって処刑された。 来月に誕生日を控えた37歳の若さだった。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加