1 コンシェルジュリーの女囚人

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1 コンシェルジュリーの女囚人

半地下の牢獄にくり抜かれ、鉄格子をはめられた小窓の外にも朝日が差し込んできた。 薄暗く冷たいこのコンシェルジュリーの独房で、2ヶ月あまりの時を過ごした。 生涯で最期の手紙をしたためた後、今はただ粗末なベッドに身を横たえている。 息をするのも苦しいほどの汚臭と、不潔極まりない寝具とも今日でお別れ。 下品な下女と見張りの兵士に何から何までさらされる屈辱や、鉄格子の向こうの中庭から覗き込まれて浴びせられる下卑た言葉に神経を削られる日々も、やっと終わる。 ここに来てからは自分が何者であるのかを忘れてしまいたいと思うこともあった。愛する人たちと引き離され、誰からも名を呼ばれず、こちらから呼ぶこともない。 自分のものといえるものは、身に着けるものはおろか、なじみのある小物1つさえも持ってはいなかった。 自分は一体誰なのか、なぜこんな場所にいるのか、わからなくなってしまいそうな時、私は自分の手をじっと見つめた。 暗闇に浮かぶ真っ白な手を。 この手にはたくさんのものを掴んできた。色とりどりの宝石が輝く指輪に繊細なレースの手袋。優美なティーカップやワイングラス。生まれたばかりの子供を抱きしめたこと、小さなその手を握りしめたこと。そして愛した人を抱きしめたぬくもり。 懐かしい面影が胸にこみ上げてきて目の裏が熱くなった瞬間、私は想いを振り払うように頭を振った。 今はまだいけない。 涙を見せてはいけない。 私は何も恐れてはいないのだから。 すっかりやせ細ってしまっていても、私の手は美しかった。労働を知らぬ手。生まれてからいつもかしずかれ、何千ものキスを受け取ってきた手。 私は決して忘れはしない。 私自身の名を。 私はこのフランスの最期の王妃、マリー・アントワネット。
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