ラン

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走っても走ってもその背中には追い付けなくて。 「次の体育、シャトルランだってさ。マジでだるい。」 「適当でいいじゃんか。記録目指さないかぎりテキトーでいいんだよ、そんなのは。」 クラスメイトが気だるそうに着替えながら話していた。僕も、今日の体育の内容はまだ知らなかったので、シャトルランと聞いてちょっと、いやかなり面倒くさく感じてしまった。運動は苦手だ。わざわざ自分で自分を追い詰めるだなんて、とんだマゾだ。僕はエスってわけでもないけれど、マゾでもない。ドがつくほどのノーマルだ。はずなんだ。 「シャトルランらしいよ。藤宮はきっとラストまで残るだろうね。」  着替えが終わった僕は制服を軽く畳みながら、前の席の藤宮に声をかけた。 所用があった藤宮は、少し急ぎながら上着のボタンを外している最中だ。 「隣のクラスも合同だろ。あっちには坂垣がいるからなぁ。」  長い手が一つずつボタンを開けていく。 「陸上部のホープが何を言ってるんだよ。」 「ホープって、たまたま調子が良かったんだよ。」 「それで大会新出してるんだからなぁ、藤宮は。」 「俺は走るのが好なだけだよ。」 「ドエムの発言だ。」 「何それ?アルファベットに何か意味があるのか?」  それを聞いて、椅子に座ってはいないはずなのに椅子から転げ落ちそうになった。 「うわー、陸上部のホープはピュアだったのか。」 「え、え、どういう意味なんだよ?まじで」 「俺の口からは言えねぇ。」 「お前の口から出たんじゃないか。」 「もうチャイム鳴るぞ。」 「はぐらかすなよ、まったく。」 シャツを脱いで体操服を手に取る。白いタンクトップが一瞬見えた。まだ六月だというのにうっすらと日焼け跡が見えた。 「じゃあ、今日はシャトルランな。体を慣らすためにグラウンド3周ー!」  体育教師がメガホン不要な大声でみんなに呼びかける。 そこらかしこから不平不満の声が漏れる。 「文句言うなら、5周にしてもいいんだぞ。」 その一言で、みんなの口は塞がった。 1周走り切るだけでも今日の分の体力を奪われる僕は、ホイッスルの開始の合図早々に最下位グループで走っていた。 藤宮は先頭を走っている。時点で坂垣が自分のペースを守りながら走っていた。俺が2周目に入った時にはもう二人とも休憩していた。 走っても走っても陸上部と帰宅部の距離が埋まるわけがない。アイツは真面目で優しくてピュアで周りから尊敬されている。それに比べて僕は、クラスでも冴えない存在でいるのかいないのか空気みたいな存在だ。 そんな僕でも藤宮は気さくに話しかけてきてくれたから安心して話ができる。話しかけることができる。 「休憩あと、30秒な。それから白い線に並んでくれ。」  さっき走り終えたばかりなのに体育教師は無茶を言う。でも僕がどうこう言えるはずもなく渋々と白い線に並ぼうと立ち上がった。その時、藤宮が駆け寄ってきて、 「お前の隣で走っていいか?」  と、聞いてきた。 「僕なんかと走るよりも、坂垣みたいな早い奴と走った方がいい記録が出るんじゃないの?」 「いい記録よりも、お前と走りたいんだよ。さっきだって一緒に走ろうと思ったのに気が付いたらいなかったからな。」 「藤宮のペースに追いつけるはずないじゃないか。」 「だからだよ、シャトルランなら同じペースだろ。」 「まあ、確かにそうだけど。でも、僕早々とリタイアする気満々だからな。」 「それまででいいよ。」 「そうか?じゃあ、隣で。」 「うん。」 「スポーツテスト【シャトルラン】ヲカイシシマス。アイズガナッタラ・・・」 CDから流れる機械音が僕たちに緊張を与えてくる。 頑張る気なんて無いはずなのに無駄に高揚してくる。 ポン ポン ポン ポーーーン 始まった。 やっぱり、藤宮は早くて、背中を追いかける形になった。藤宮の走る姿を近くで見ていると、なんだか自分も速く走れるかのような錯覚におちいってしまいそうだ。それくらいキレイなフォームで一切の無駄がない。僕はさっきのグラウンド3周の疲れはどこへやら、最初の脱落者にならないようにと、ポーーーンの最後の音で白い線を踏み込む。 踏み込んで顔を上げると、藤宮がこっちを向いて笑ってた。いや、笑っているというよりも微笑んでいる?なんかもう慈愛に満ちた聖母みたいな。初めて一人で立った赤ん坊を微笑ましく見守るような、そんな感じ。 「ガンバレ。」 藤宮の唇がそう動いた気がした。 ゼーゼーと肩で息をするので精一杯の僕がそれに応えられるわけもなく、ただ力なく拳を上げた。 またポン ポン ポン ポン ポーーーンと音がする。 藤宮は誰よりも颯爽と駆けていく。僕はその背中を追うだけでもう他のことが考えられないくらい脳に酸素が足りなくなっている。 でも、走っても走ってもその先で藤宮が待っていてくれる。追いつかないと思ってた背中が、埋まらない距離だと思っていた人が、僕を優しく待っていてくれる。 なんかもうそれだけで、嬉しくなって、調子乗って、明日の筋肉痛のことも忘れ去ってしまっている自分がいることに、僕はあと15回走って気が付くことになる。
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