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うゆちゃんが本当に何も知らなかったら。やっぱり、こっちから窮状を訴えることはできない…、か。さすがに勇気ない。
だって、起きてる事態があまりにも。きれいで清廉なうゆちゃんの住む世界とは相容れなさ過ぎる。…穢れてて、卑猥で。爛れてるし。
わたしの口から。いつもみんなにどう扱われてて日常的に何をされてるか、はっきり言葉にして説明することなんて全然。できそうもない…。
そしたら以前のままの明るいわたしを装ってわぁ、久しぶり。会いたかったぁうゆちゃん!って満面の笑みで駆け寄るしかないな。と半分笑顔を作りかけた状態で建物を出る。慌てて元気を装うと間に合わなくて変な間ができそう。
「…あ」
思わず知らず、離れたところから視界に入った光景に自然と小さな声が漏れた。
会社の入ってるビルの出口の近くに、すらりとした姿を見せて立っている長身の女の人。
髪も伸びて何だか大人の女性って感じ。だけど、やけに姿勢がよくてきりっとしてて、そこだけ光が当たってるみたいに常に目立ってる。存在してるだけで明るい、そんな人。
他にはいない。うゆちゃん本人だ。
懐かしさで胸がいっぱいになり、装ってた作り笑顔は吹き飛んでしまった。代わりに心の底からの笑みがいっぱいに湧き上がる。
「うゆちゃん!」
ぶんぶん、と手を振って声を弾ませる。それに反応して振り向いた彼女の、その目。
顔に笑みはかけらも浮かんでいない。それはいつも通りだから別に意外じゃない。…けど。
眼差しに滲んだいつにない優しさと痛ましさ。ほんの僅かでもわたしにはわかる。中学の頃にはすんとしてて、本当に何の感情も浮かべてなかったんだから、その些細な違いくらい。…ずっとそばにいたんだもん。
うゆちゃんは知ってる。わたしは、一から全て口に出して彼女に助けを求めなくていいんだ。
もう一人じゃない。
言葉に変換して考えるより早く感情の方が先に、脳内で爆発した。次の瞬間に顔いっぱいの弾けるような笑みを浮かべたまま、わたしの両目からどっと洪水みたいに涙が一気に溢れ出した。
「マジかよ。あんな噂ちょっと耳に入れただけでわざわざ東京から…。しかも次の日に飛んでくる、とかさ」
俺に電話で木村の件を教えた奴にごり押しで約束を取り付けて、直接会いに行く。今まさに同じタイミングで、別の場所では天ヶ原が木村と落ち合って話を聞いてるはずだ。
木村の退社時刻はとっくに過ぎてる。何かトラブルが起きて二人が会えなければこっちに連絡が来るはずだから、何の知らせもないということは順調に話は運んでるんだろう。ありがたいことに阪口からの介入は上手いこと免れたようだ。
その友達、玉川ってやつはありがたいことに今日は仕事が休みだった。平日休みだと彼女と予定が合わないんだよな、と愚痴をこぼしながら家に尋ねていった俺を自室に招き入れる。就職と同時に独立するくらいならどうせ数年後には結婚して家を出るんだから、そのときでいい。という理由でまだ実家住まいを続けてるようだ。
「そういえば、お前木村ちゃんのことだいぶ好きだったもんな。それで頭に血が昇ったか。もしかして、白馬に乗った王子様みたいに。俺が助けてやらなきゃとか?」
「半分は合ってる。王子になりたいとかは思わないよ別に。でも、そのままってわけにいかないだろ」
にこりともしないできっぱり答える。奴は部屋に入った俺の背後でぱたり、とドアを閉めるとまじまじとこっちを見つめ、ややあってから何とも重いため息をついた。
「…ごめん、茶化して。そう考えるのがまともな感覚だよな。やっぱ俺たち、どっかおかしくなってるかも。…女の子があんな目に遭わされてるのに。阪口の坊と付き合うんならいろいろあってもしょうがないよな、いい目もあったんだろうから多少は我慢しないと。とかしか考えらんない、なんて」
「うんまあ、それはいいよ。地元に住んでりゃ見て見ない振りしなきゃいけないこともあるだろ。お前の仕事は阪口建設の下請けだったりとかもあって、立場微妙だろうし」
買い置きらしき缶コーヒーを手渡してくれて自らもぷしゅ、と開缶しながら玉川は肩をすくめて答えた。俺も手の中の缶のプルトップに指をかける。ちゃんと冷え冷えに冷たい。
「まあ…。それもゼロとは言えないか。それでもあの坊が地元で衆目一致の嫌われ者で、後ろ指指されて孤立でもしてればまだ話は簡単なんだけどね。あんなんでもついてく奴とか、取り巻きが山ほどいるからなぁ…」
「やっぱそうなのか」
やや苦々しく嘆息する玉川。俺は甘さ控えめの小ぶりな缶に口をつけ、少し含んでから視線を落としてそれが初めて目にする興味深いものみたいに眺めた。久しぶりの同級生同士、狭い場所でしみじみと対面で見つめ合うのもなんだし。目線の置き所が難しい。
「俺の方じゃ高校行ってからはめっきり名前聞かなくなったけど。中学んときにそいつの話題出たときには、女の子好きで可愛いと見たら手当たり次第だし結構手癖悪い、って聞いたよ。本当に人望あるなら同年代の連中の中で、そんな風に悪し様に言われたりしないんじゃないの?」
「うーん。だから、あれが本物の人望かって言われると違和感はあるな。そんなのなくてもついてく奴や擦り寄ってくやつはいるだろ。実際人間関係だって、損得勘定とか入ってくるし」
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