第9章 どうせもう逃げられない

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「一時とはいえ本気で好きだった子に。あんなことできると思うか?」 すかさずクールにそう突っ込まれて俺は口を噤んだ。…それは。まあ、そうか。 玉川は他人事めいた冷静な口調で自分の考えた仮説を訥々と展開した。 「あいつにはまともな共感性なんかないだろ。他人の苦痛にちょっとでも心を痛める感性があったらあんなの普通に耐えられないはずだよ。あの男にとっちゃ彼女なんてもの、あんな子と付き合えるなんて阪口さんすげー、って憧れの眼差しを浴びるためのアイテムに過ぎないんじゃないの」 容赦ない。…でも、現状を見れば。多分その見解が正しいんだろう。 「長く続いたのはそれだけ、木村が周りの男たちから求められるだけの魅力を保ち続けてたってことなんだろうな。あんな女の子とできるなんて…ってみんなにめちゃくちゃ羨まれてるのは心地よくて虚栄心を満たしてくれてたんだよ、きっと。だけど、周りの目は変わらなくても。もともと女の子は食い散らかしてやり捨て主義だった阪口は、最近になって多分。飽きてきた」 玉川は言葉を切って缶を持ち上げ、それがとっくに空になってるのに気づいて所在なく指でカンカン、と微かな音を立てて戯れに弾いた。 「…これは堂島から流れてきた話らしいんだけど。阪口のやつ、もう既に次の女が別にいるらしい」 「え?そうなの?」 俺がショック受けてどうする。って思うけど、自分が阪口の唯一の彼女なんだ、と信じてるからこそ理不尽な仕打ちに耐えてると思しき木村のことを考えるとそれは辛い。 玉川は小さく頷いて、感情のない声で素っ気なく続けた。 「表向きの彼女は木村のままだけど。新しい本命は隠したままで仲間にも会わせてないらしいよ。そっちにはちょっかい出されたくないんだろうな、まだ今のところは。…だけど木村には今でも充分他の男たちを惹きつける吸引力があるから。せっかくだからより有効に利用できる方法を思いついたってことだろ。彼女をただ捨てるんじゃ勿体ない、って考えみたいだね」 「利用法って」 俺は玉川の冷たい解析に唖然となった。 「ものじゃない、人間だぞ。ただ捨てるんじゃ勿体ないから有効に使うとか…。じゃあ何だ、木村は。好きな人のためにって必死でそんな扱いに耐えてるのに。向こうはもうあの子にかけらも気持ち残ってなくて、ただ単に壊れるまで搾り尽くそうとしてるだけ、なのか?」 「多分。…お前らこれで遊びたいんだろ、しょうがないから好きにしていいよ。って感覚だと思う。飽きた玩具をみんなが欲しがるから、自分はもう別に要らないけど。って勿体ぶって貸してやってるってことなんだろうな。小出しにして恩に着せればそれだけ、自分に対しての求心力も高まるし…」 「そういう話も。…堂島から流れてきたのか?」 押し殺した声に怒りがどうしても滲む。さすがにやや憐れみを含んだ視線を玉川は俺の方へと向けて答えた。 「俺の友達が堂島と割と仲いいんだよ。そいつは高校で一緒になったやつだから越智は知らないな。俺とは部活が同じで、あいつらとクラスが一緒だった。いわゆる阪口の取り巻きグループには入ってないんだけど。なんかサッカーだかプロ野球だかが共通の趣味で堂島とは結構話が合ってたとか何とか。…でも、こないだ会ったときはどん引いてたよ。同じ高校で同級生だった連中がそんなことしてんの信じらんない。マジで気持ち悪い、って青ざめてた」 まともな奴なんだ。ってか、それが普通の感覚だよな。やっぱり。 「堂島のやつ。知り合いにそんな風に言いふらしてんのか。変な噂広まったら木村がこの町で生きていけなくなるかもしれないのに、そういう想像力もないのか?」 呟く声に思わず怒りが滲む。俺の苛立ちを察知しつつ、玉川はやや言いにくそうに口ごもりながら言葉を継いだ。 「ていうか。…堂島が言うには。今はまだ本命をよそに隠してキープしつつ、阪口もそれなりにそのぅ、複数と一緒に混ざって木村との。…プレイを愉しんでるみたいなんだけど。いよいよ本格的に飽きてやる気なくなったら、仲間のうち誰かに彼女を払い下げてやるって。…風俗に売り払ってもいいけど、もしも欲しいってやつがいたら引き取る気があるならやるよ。って言ってたらしい」 何言ってんだマジで。 「いや…、本人の意思とか。あるだろ普通。そういう発想ないの?あいつら」 完全に呆れ果てて、玉川に訊いてもしょうがないとわかってても尋ねずにはいられない。奴も俺が知るわけないだろ、と言わんばかりに素っ気なく肩をすぼめた。 「俺が考えたことじゃないから。理解不能なのは同意するわ。多分ペットとか何かみたいに思ってるんだろ。だから自分が飼う気なくなって扱いが面倒になったら今の職場から追い出してバーか何かでホステスでもやらせて。お古でもよければ誰か引き取っていいよ、誰も欲しがらなければ高く売れそうだから風俗に売る。って言ってるらしい」 そこまでする? 仕事は関係ないだろ、と思ったが。阪口の考えとしては今の職場に紹介したのは自分の彼女としてで、そうじゃなくなればそこに席がなくなるのは当たり前ってことらしい。
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