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「卒業したら結婚しないか?」
そう言われて私は、ただ驚いた。
「何言ってるの?私達、付き合ってもいないでしょう?」
困惑を、乾いた笑顔に変えて顔に貼り付ける。どんな顔をしたらいいのか分からない。
「私には、明(あきら)が」
「明には俺から伝えた。」
「···何を?」
「小夜(さよ)と、結婚するつもりだって。」
「···明は、なんて?」
「小夜と幸せになって、って。」
私は走った。風の吹きつける冷たい冬の街を、ただ走った。
嘘だ。
嘘だ。
嘘だ。
明がそんな事を言うはずがない。そう思いながら走っているのに、言いようのない不安と焦燥が駆け巡る。
「明!!」
通い慣れた古いアパート。壊れたインターフォン。
「明!いないの?お願い、開けて!」
返事はない。それでも私は扉を叩く。これ以外に、私がこの扉の向こう側に行ける術はない。これ以外に、明に会える術がない。心の底から込み上げてくる途轍もない不安。見え隠れする絶望を、必死に押し込める。
「明!!」
ダメかもしれない。明は本気かもしれない。私は、もう明に会えないかもしれない。
扉の前に泣き崩れた時に気付いた。そこにあったはずの鉢植えが消えていた。明と私が、二人で育てた鉢植えが。顔を上げると、小さな摺りガラス越しに見えていたカーテンも消えていた。私が選んだ、淡いグリーンのカーテンが。
押し込めていた絶望が、勢いを増して襲ってくる。
明はもういない。
この部屋は、きっと空っぽだ。
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