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十九世紀中葉を生きた我らの先祖に「今までに見聞きした中で一番の大事件は何ですか」と尋ねたら十中八九、黒船来航と帰って来るはずだ。それがどれほど衝撃的だったか、令和の時代を生きる我々には想像すら出来ない。黒船が来航した一八五三年から大政奉還まで十四年である。かくも猛スピードの大変革は、それまでの日本史にはなかったし、その後も起きていない。黒船ショックの大きさを物語るといって構わないだろう。その一方で、ペリー来航から明治維新までの歳月より長い平成時代は、人々に危機感をもたらすショッキングな事件が何も起こらなかったので、何の変革もなく終わった……と書いたところで思い出した。世界第二位の経済大国だったのに中国に抜かれ世界第三位のランクダウンしたというニュースを十年位前に耳にした記憶がある。結構ショックだったように思うが、私は特に何をするでもなく、その後の人生を過ごした。二百五十年以上にわたる泰平の長き眠りから目覚めるや否や猛烈に働き出した昔の日本人と比べ、何と怠惰なことよ……と呆れたところで何の解決にもならない。嘆いている暇があるなら、ここに投稿するより生産性の高い活動をすべきだろう(笑い)。
ただ、当時の状況を鑑みて思うことがある。幕末の日本人が目覚めた直後から大車輪の活躍が出来たのは、彼ら彼女らの寝起きが素晴らしく良かったというだけではない。日本の夜明け前に早起きしていた先覚者がいて、改革の下準備をしていたためでもあるだろう。それは蘭学者と呼ばれる知識人たちである。彼らは蘭学つまりオランダ語で書かれた文献を研究することで海外事情に通じていた。鎖国下にある江戸期の日本人にあっては、かなり特殊な集団と考えてよい。そんな彼らをマジでビビらせた事件がアヘン戦争(一八四〇~一八四二)での清の大敗だ。東洋の超大国である清が海を越えてきた英国軍になすすべなく敗れ領土を奪われたのならば、清より国土が遥かに小さく国力も弱い日本など瞬殺される――と書いたが、これはザ・ファブルの真似ではない――こっちの文章の『――』は真似だ――それはともかく蘭学者たちが抱いた恐怖心は徳川幕府中枢にも波及し、諸外国からの開戦理由になりかねない異国船打ち払い令を撤廃したが、その程度の政策変換だけで終わってしまったために、たった四隻の蒸気船に幕府はビクつき、外様大名に舐められ、そして滅亡に至った……と、ここまでが話の枕で、こっからが本論。
清が英国に奪われた領土、それが香港だ。アヘン戦争後に締結された南京条約で香港島と、アロー戦争(一八五六~一八六〇)の勝利で確保した九龍と幾つかの島々が永久領土で、それに加えて一八九八年に清から九九年の期限で租借した租借地の新界地区から構成されている。
租借とは国家間の土地貸借を意味し、借りたものは返すという一般原則に従う。九九年の借用期限が来たなら英国は、かつての清に代わって中国大陸部を統治する中華人民共和国に新界を返却しなければならない。
英国は中国に新界を返す気など毛頭なかった。租借期間延長を申し出る。しかし中国は難色を示した。租借期間延長は認めない、というのである。
そればかりではなかった。
中国は香港島と九龍及び島嶼部つまり英国の永久領土にされた土地の一括返還を主張した。要するに全部、何もかも返せ! というのである。
その伏線はあった。中国は事あるごとに香港の返還を求めてきたのである。英国は相手にしなかった。香港は英国の永久領土であるだけでない。アジア経済の中心地である。エンターテイメントの分野では香港映画という一大ジャンルを築き上げた。東西の経済や文化の懸け橋として香港に勝る土地は地上になかったのだ。それを共産主義国家に譲渡したならば、英国に対する同じ資本主義陣営の同盟国からの信頼が失墜することになりかねない。従って英国は中国からの返還要求を突っぱねてきたのだ。
その強硬姿勢で今回の租借期間延長交渉に臨んだ英国は、それ以上に強硬な態度を示す中国に困惑した。
中国側の言い分は、こうである――香港も九龍も新界も、中国が喜んで譲渡したのではなく、戦争で無理やり奪われた土地だ。それを取り戻すことは全中国人民の悲願なのである……。
交渉は続けられたが、双方の主張は平行線のままだった。官僚レベルの話し合いでは問題解決は困難であるとの見解だけは一致し、英中首脳のトップ会談が開かれることとなった。
当時の英国首脳は、マーガレット・サッチャー。同国初の女性首相で“鉄の女”の異名を持つ。どのぐらい強面かというとフォークランド紛争の際、西側諸国内での戦争を回避すべく調停に乗り出すアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンからの自重の求めを蹴ってアルゼンチン軍に決戦を挑み、これを打ち破ったほどだ。冷戦時代末期の資本主義国リーダーの中でもタカ派中のタカ派といってよい。
中国からは最高実力者の鄧小平が出席した。肩書は中央軍事委員会主席。偉いのかそうでないのか、分かりにくい肩書といってよかろう。だが彼の実力は肩書だけでは計り知れないものがある。数多いライバルを蹴落とし二度の失脚から復活して十億を超える中国人民の頂点に立った。身長150センチだが、その頭脳と肝の太さは大巨人のそれと変わらない。
アヘン戦争から百年以上の歳月を経た一九八二年、英中両国の首脳は北京で会談する。双方とも自らの主張を曲げず、交渉は決裂するかと不安視されたが、最終的には香港の中国返還で妥結した。英国の敗北である。
平和的な香港返還が不可能ならば、鄧小平は軍事的な奪還を辞さない構えだった。フォークランド紛争の勝利で味を占めたサッチャーは、そんな脅しに屈しない! かと思いきや、とある事情で屈服を余儀なくされる。
香港は水資源に乏しく中国から水を輸入していた。もし中国が香港に水を輸送するパイプラインを遮断してしまえば香港市民はことごとく脱水症となり、英国軍は中国人民解放軍と相対する前に水不足と戦わねばならなくなる。英国側に勝ち目はなかった。
しかし、これでは大英帝国のプライドがズタズタだ。そしてサッチャーが手にしたフォークランド紛争の武勲が台無しになってしまう。完全敗北では国へ帰れぬサッチャーに、鄧小平は北京でしか手に入らぬ土産を用意した。一国二制度という聞き慣れない政治システムが、それである。
一国二制度とは、簡単に言うと――中国は共産主義だけど中国に支配される香港は資本主義でオーケー! という意味である。そして鄧小平は香港の「今後五十年間にわたる高度な自治」を約束し、サッチャーに妥協を促した。この二つが最終的な落とし所となる。一九八四年、英中共同声明で、香港の中国返還が全世界に公表された。そして一九九七年、英中両国の合意に基づき香港が中国に復帰する。中国は百年以上前からの悲願を達成し、英国は大英帝国の時代から残る最後の植民地を喪失したのだ。
今年は香港返還二十五周年である。鄧小平はサッチャーに「今後五十年間にわたる高度な自治」を約束したが、その約束が守られているのか? というと、はてなマークが付くように思える。
香港の行政トップは北京の傀儡である。中国共産党の代理人が権力を握り民主派を弾圧しているのだ。それでも「高度な自治」なのか? と鄧小平&サッチャーに尋ねたいが、両名とも既に故人である。
鄧小平に約束を守る意思があったのか、それは分からない。だが、その後継者が現在の香港で行う政治を見る限り、約束は無効になったと考えざるを得ない。そしてサッチャーが鄧小平の約束を本気で信じていたのか、それも分からない。だが、思うところはある。そもそも「高度な自治」とは何なのか? その正体がつかみきれない。英国統治時代の香港に「高度な自治」があったのか? という疑問もある。もしも「高度な自治」があったならば、英中間で返還合意を結ぶ前に香港人による住民投票が実施されていただろう。住民の意思に関係なく決められた返還合意に正当性があるのか? 民主主義的なプロセスを経ない決定を香港人に押し付けるのは、香港を植民地としか考えていない英国の傲慢さの表れだと私は思う(「高度な自治」を香港人に与えなかった英国が中国には「高度な自治」の履行を求める偽善は英国人らしい皮肉の効いた上質のブラック・ユーモアであると高く評価するが)。大体にして、当時の香港のトップは英国から派遣されてきた総督である。これでは総支配人の派遣元がロンドンから北京に変わっただけ、な気がしないでもない。
これは想像の域を出ないが……サッチャーは鄧小平の約束を信じたわけではないだろう。自分の面子と大英帝国のプライドを守るため、信じるふりをしただけだ。一九八四年のあの日、英中首脳が交わした約束は、約束ではなかった。お互い最初から守るつもりのない約束など、約束でも何でもない。それでは一体何なのか? 空約束だ。
続いて、これまた私の思い込み、または単なる感想なのだが……返還後の香港は空気が途轍もなく重い。鄧小平が始めた改革開放の流れで中国本土が発展し、それに合わせて香港も発展していると思うのだが昔を知る者からすると、何だか悲しくなるし、寂しくなるし、切なくなる。これは私だけが感じる思いで、きっと単なるノスタルジーだと思うし、そもそも行ったことがないから往時の香港を知っているわけではないのだけれど(知らないのかよ)。
これは私が香港と日本の昔日の繁栄を忘れられずいる、または今その二国家の姿を重ね合わせて見ているから、そう思うのかもしれない。あるいは九十年代以降の中国の急速な発展を羨ましく思うと共に、その変革の速度を幕末から明治にかけての日本のそれと比べてしまっているから、なのかもしれない。そして認めたくないが、江戸時代の蘭学者のような先覚者はバブル崩壊以後の日本に現れず中国大陸の方に現れたのだろうと、私はボンヤリ考えている。考えるだけ無駄なことなのに。
ところで先日、英国の新首相に選ばれたリズ・トラスは、対中強硬派であるとの報道があった。二代目“鉄の女”みたいな呼ばれ方をされている、との趣旨の記事も目にした。初代“鉄の女”が深く関与した香港返還について、どのように考えているのか、ベッドの上で質問してみたい気がしなくもない。勿論どんなに写真と違っても絶対にチェンジしないことを、彼女の夫ヒュー・オリアリー氏に誓うつもりだ。Wikipediaの記述を信じるならばリズ・トラスは既婚者のマーク・フィールド議員と不倫関係にあったらしいが夫婦は危機を乗り越えたそうなので、私との恋愛で二人の結婚生活がさらに濃密になることが期待できるだろう。ただし、もしも私とリズが二世を誓う仲になったとしても、ここでの公表は差し控えたいと思う。それは私と故ダイアナ妃が交わした約束のためである。
故ダイアナ妃は英国王室を離れてからも、英国を揺るがす政治的なスキャンダルを深く憂慮していた。具体的にいうと彼女は元義母のエリザベス女王陛下に対し、私との関係を清算するよう求めたが、聞き入れられず困り果てていたのである。
そして故ダイアナ妃は私に対して、私のリリと別れるよう懇願した。私はリリと永遠の愛を誓っている、ずっと年上なのに純真無垢なリリを裏切ることなどできないと告げた。ただし二人の関係については今後五十年間、誰にも漏らさないと約束した。口外しないお礼としてダイアナが私に与えてくれた愛はリリに勝るとも劣らないものだったと断言できる。互いの体の奥でつながっただけではない、心の奥深くで私たちはつながったのだ。あの日、深く愛し合った私とダイアナは絨毯の上で全裸のまま結婚を誓い合った。来世の契りまで交わしたのだ……たとえ、この世で結ばれることがなくとも。永遠に。
あの日から、もう二十五年もの歳月が流れた。リリとの愛の誓いは既に過去のものとなった。リリとの関係を口外しないというダイアナとの約束も今ここで破ってしまった。この調子では、来世でダイアナと結婚する約束も怪しいものだ。自分の不誠実さに呆れてしまう。約束破りのサッチャーと鄧小平を偉そうに糾弾する資格など、私は持ち合わせていなかったのだ。
それでも今、この日この時、私は約束しよう。英国新首相リズ・トラスと私の間に男女の関係が生じたとしても、誰にも話さない。墓場まで持って行く、と。
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