死亡退院

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死亡退院

 『脳死』という症例がある。脳は死んでも心臓は暫くの間脈打ち続けているというアレだ。  だがその場合でも心臓が動き続けるのは長くて数日で、やがては心臓も停止し死を迎える事となる。  しかし呼吸する鼻や口に肺、脳すらも失ってなお胴体――心臓が動き続けているというのは神の奇跡なのだろうか。  その手も足も首すらも失った胴体だけが病室内を動き回っているというのは、悪魔の呪いなのだろうか。  頭部を失った事により胴体に残されたのは肉と心臓。落ちた首は胴体から肺はおろか頸椎――残った骨の全てまでも奪っていったのだ。  呼吸器が失われたのならば心臓もじきに止まる。そう判断され、モニター心電図が装着されて心臓が停止するのを見守る運びとなったのだが――1時間経っても。1日経っても。3日経ってもレート(脈拍数)が下降する様子は見られなかった。  それどころか、たびたびモニターの接続が外れ、駆けつけると胴体だけが床に転がっている事が多くなり、とうとうモニターの機械を引き摺りながら床をにじりにじりと動いている様子まで目撃されるようになっていた。 『まさかまだ生きているのではないか』 『動くというのは意志があるという事なのか』 『植物だって意思が無いのに生きているような動きを見せる。生命の存在と意志の存在は必ずしも同義ではない』 などと医局会で議論の的となったが、それを嘲笑うかのように、肉と心臓だけの身体は元気?に病室内を動き回っていた。  その様子が職員の間で話題になり疑問を生み、やがて恐怖の対象となった頃、弁護士などの有識者を交えようやく医局の総意が決定した。それは―― 『肉体が動く事と意志の存在に関連性が見出せず、また生命維持に必要な器官が既に失われて久しい事から、法的には死亡したものとして扱う事に問題は無いと判断される』  これにより、『中井シンヤ』という入院患者はその首が落ちた事による呼吸困難にて死亡と扱われる事になった。遺族の許へは、落ちた手足と腰、首を火葬した後に残された骨が引き渡された。  そして心臓だけが鼓動を続けるこの『肉体』は、とある大学病院へ研究の為に送られる事が決まった。
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