月よりも

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月よりも

大きな月が出ている。 呑まれそうな大きさと存在感、でも淡い光。 閉店準備をしていた私・芽吹菫(めぶきすみれ)は、店の外に月を見上げている(さかき)さんを見つけて声を掛ける。 「榊さん?」 振り向いた彼は、榊さんじゃなかった。見た目は榊さんだけど、中身が違う。前にも似たようなことが……ああ、そうだ。 「桂男」 「御名答」 言えば、榊さんの顔で、桂男が悪い笑みを浮かべる。無性に腹が立つ。 「何をしたの」 「一杯食わされたのが面白くなかったからな。意趣返しだ」 人間に一杯食わされたのが面白くないって……。器が小さい妖怪なんだろうか、桂男って。これに憑かれてたのかと思うと、私もまだまだなのかもしれない。否、これ以上霊感とか強くなりたくないけど。 「何で」 「お前を得る為だ」 桂男の妖力?みたいなものが、榊さんの身体から溢れ出るのを感じた。陽炎みたいに揺らいでいる。私は持っていた折りたたみミラーを出して、大きな月の光を反射させる。桂男の力にぼやけた月光が当たると、榊さんの中から着物姿の若い男が滲み出た。かなり動揺している。 「な、に……!?」 酷く滑稽に見える妖怪を真っ直ぐ見据え、私はゆっくりはっきり告げた。 「榊さんを好きにはさせませんし、私は榊さんのものです。他の誰のものにもなりません」 榊さんが動いて、その背が私の前に来る。 「とっとと月に帰れ、二度と来んな!」 榊さんの拳が桂男に飛ぶ。結構良い音がした。情けない顔のまま、彼は夜空に消えて行った。……もう来ないと良いけど。 「すみちゃん」 月を見上げてた私は我に返る。榊さんが私を見てた。 「大丈夫ですか?榊さん」 「助かったぜ。ありがとな。つか、よく鏡持ってたな」 「何となく、持ってた方が良いかなって。それに私は、榊さんみたいには桂男を追い払えませんし」 鏡を上着のポケットにしまったところで、抱き締められた。 「榊さん?」 「もうちょいこのまま。すみちゃんの言葉噛み締めてるから」 「えっ、さっきの……!?」 改めて言われると恥ずかしい。 「流してくださいよ……」 「流せるか。頼もしい相棒で可愛い恋人の、愛の言葉だし?」 優しい声に、顔が熱くなる。しばらくして、榊さんの身体が離れた。まだ、大きな月が私たちを照らしている。くいと顎を持ち上げられ、榊さんの瞳が、私の目を覗き込んで来た。月の光を映す彼の目は、月よりも綺麗。 「あの、」 「何だ?」 「月が綺麗ですね、って言葉ありますけど。月よりも綺麗ですね、って何か意味ありましたっけ?」 榊さんが一瞬考えるような顔をする。私の記憶には、確か何もなかったと思うんだけど。 「俺も知らねぇな。何?また愛の言葉くれんの?」 「榊さんの目が。月よりも綺麗なので。月の言葉を思い出しただけです」 もし何もなかったなら。月よりも綺麗。私はなんて意味をつけるだろう。一生側にいたい、とか。重いかな。 「奇遇だな。すみちゃんの瞳、月より綺麗だなってずっと思ってたぜ、俺も。まあ、俺が意味をつけるなら」 榊さんが言葉を切った。その目に吸い込まれそうになる。 「何ですか?」 「“一生側にいてください”だな」 え、と。それは。理解しようとしてる内に、引き寄せられて、唇を塞がれた。直ぐ離れた榊さんの口元が、にやっと笑っている。 「言っとくけど、プロポーズは然るべき時にちゃんとするからな。これはノーカン。まだ」 「然るべき時、って」 「現実的なこと言うと、すみちゃんが卒業してから」 情報が多すぎて、直ぐに言葉が出て来ない。でも。 「私と未来(さき)のこと、考えてくれてるんですか」 「当たり前だろ。何?不安だった?」 笑う榊さんを見て、暖かい気持ちになる。気付いたら、私も笑ってた。 「このままじゃ、すみちゃんにプロポーズしても疑われちまうなあ。婚約指輪から始めるか」 そんな軽いノリで。 「そんな大事なこと、形から入らないでください」 「指輪見たら、俺のこと嫌でも考えるじゃん。言ったろ?俺、独占欲強めだって」 「榊さんが側にいるみたいで、安心する方ですよ。そんなに想ってもらえて嬉しいくらいなのに」 榊さんがパッと笑った。無邪気に見えるその笑顔が眩しくて、敵わないと思ってしまう。許せてしまう。私は榊さんを抱き締めた。抱き締め返してくれる手が、暖かい。幸せってこういうことなんだと実感する。 指輪を買いに行くことは決定事項になり、あれやこれやと話している私たちの上。 いつもより大きな月は、何もなかったように朧に照っていた。
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