百鬼夜行祭

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百鬼夜行祭

二十四時間営業ではないコンビニ・佐和(さわ)商店の話。 私・芽吹菫(めぶきすみれ)は、はあ、と思わず溜息をついた。 店長・吉瑞(きずき)さんからの「夏祭りがあるから」というシンプルな一言で、今日は皆浴衣で仕事をしている。 事実、今日は近所のバカでかい公園で朝から夏祭りが始まっていて、夜の花火大会終了まで周りはお祭りムードで騒がしい。 そして当然のように、この佐和商店も忙しくなる。だから今日は、店長の吉瑞さんを始め、いつもはシフトの被らない天我老(てんがろう)君もいるし、主婦の魚住(うおずみ)さんもいる。 もちろん(さかき)さんもだ。 文字通り、佐和商店総出で働いているのである。 夜。 花火大会も終わり、人出も落ち着いた。 そのタイミングで、天我老君と魚住さんが先に上がる。吉瑞さんも、一旦家へ帰ることになった。 佐和商店は、私と榊さんだけの、いつも通りの夜となったのだ。 「ーー浴衣って動き辛ぇな」 榊さんが襷掛けを解きながら、事務所から出して来たパイプ椅子に気怠げに座る。 「本当ですね」 私もレジカウンターに背を預け、意味もなく団扇を扇ぐ。 時はもう、閉店間際になっている。 まだ、夏祭りの余韻が残っているような熱気が店内にあるようで、落ち着かない。 相変わらず無人の倉庫から、物音やら笑い声やらが聞こえて来る。 ただ今日は、それらに対する恐怖心も薄まるほど疲れていた。 慣れかもしれない。恐ろしい。 「はは。笑ってんな。もう今日は何とも思わんが」 「奇遇ですね。私もです。さっさと帰りたいですよ、もう……」 見れば、榊さんもまあまあ目が死んでいる。 当たり前か。朝から今まで休憩を入れても働き通し。いつも暇な佐和商店が忙しくなる数少ない日なのだから。 榊さんが無言で立ち上がると、事務所に行き、何かを持って出て来た。 「ほれ。お疲れさん」 「ーーラムネ!」 差し出されたそれを受け取り、でも、あ、と声が出た。 「ラムネ、ってどうやって開けるんですか?」 「かー……!これだから現代っ子は!どれ、おじさんが開けてやろう」 大げさな。でも飲めないのは困るから、お願いして渡す。小気味よい音がして、栓が取れた。 「おお、」 私は拍手してお礼を言いながら、ラムネを受け取る。榊さんは得意気に笑う。 「有り難く飲むんだぞー」 「……いただきます」 何だか納得出来ないが、言葉を飲み込む。 久しぶりに飲むラムネは、冷たくて爽やかで、妙に懐かしい。 カラン、と青いビー玉が鳴る。 「お祭り、って感じですね」 「なんだ。行きたかったなら、言えば少しくらい行かせたのに」 少し首を傾げて私を見る榊さんに、私は慌てて首を横に振る。 「いや。結構です。今年も人混み凄かったですし」 「まあな。あの中を進むなら、会場着く前に店戻る時間になっちまうか」 ラムネを飲み干して、榊さんがさっきよりは元気そうに笑う。 深緑の無地の浴衣を着た榊さんだけど、そういえばちゃんと浴衣姿でいるのを見た時間は無かったなと、今更ながら思う。朝から忙しく、皆の浴衣をじっくり見ている余裕は、一ミリも無かったのだ。 榊さんをじっと見ていたことに気付かれた。私を見て、にやりと笑う。 「浴衣も似合う良い男だろ?」 ……これさえ無ければなあ……。 「似合うことは事実ですけど、その言い方で良い男なのかは疑問ですね」 「手厳しいねぇ、すみちゃんは」 榊さんが全く気にした風でも笑うので、つられて私も少し笑う。 「すみちゃんも似合ってるぜ、その浴衣。赤い矢羽柄とは、随分古風なチョイスだけどな」 「え、ありがとうございます。何となく、“これにした方が良い”かな、って」 榊さんにそんなことを言われるのは予想外で、つい口が滑る。 「へぇ、何で?」 「……さあ?何で、でしょう」 私にも分からない。でも、そういう時の直感は信じることにしている。 「すみちゃん、」 榊さんが言いかけたが、言葉が続かなかった。 外から、りん、と鈴の音がしたからだ。 私は思わずラムネと団扇をカウンターに置く。 榊さんも、店の閉じたドアの向こうを見る。 「ーー聞こえたか?」 「ええ。鈴の音、みたいな」 「だよな」 言いながら、榊さんはカウンターを出て、ドアを少しだけ開けて首だけ出して辺りを見た。と、思ったら即首を引っ込めてドアを閉める。 「え、榊さん?」 「すみちゃん、事務所入れ」 言いながらこっちに向かって来るので、黙って事務所に入る。目が本気だった。 直ぐに榊さんも来て、後ろ手でドアを閉める。そのまま、店内の全ての電気を消す。 急に真っ暗になって固まると、背を叩かれた。息を吐き出すと、手を引かれて入口から遠いデスクの陰に屈ませられる。榊さんも隣に屈むのが、気配で分かった。 「どうしたんですか?」 店内の電気を全て消すなんて、明らかにおかしい。 声を潜めて傍らの榊さんに聞くと、少し笑う声がした。 「百鬼夜行だ」 「ひゃっきやこう?」 思わぬ単語に、私はつい声が大きくなる。 「百鬼夜行って、付喪神とかお化けとかぞろぞろ歩いてる、あの?」 「そう、それ。ーーやっぱ間近であんなの見ると焦るな」 笑いながら言っているが、あまり覇気がない。 静まり返る店内に、何か、鈴のようなものがしゃんしゃん、と鳴る音が聞こえてきた。 同時に、外から大勢が笑っているような話しているような声も聞こえる。 私は何も見ていないのに、ぞわりと、総毛立つ。 「初めて見たな、あんなのの団体。ーーここに来なきゃ良いが……」 見たくもないし来ないでほしい。 「店の前を通ってるんですよね?わざわざ中にまで入ります?」 少しでも安心したくて、そう聞いたが、榊さんはいつもの調子で笑う。 「忘れたか?ここに俺たち以外にいる奴ら」 「あ」 そう。ここには既にお化けがいる。百鬼夜行なんぞ通ったら絶対反応するだろう。それに外の百鬼夜行が気付いてしまったら、店内に入って来る可能性もある、ということだ。 中にもお化け、外にもお化け。嫌なサンドイッチ過ぎる。 まるでその通りと言わんばかりに、倉庫の方が騒がしくなった。身体がびくりと跳ねる。 倉庫のドアがバン、と大きな音を立てて開く。 売り場内を走り回る足音がうるさい。何が出て来たんだろう。 いくらもしない内に、店のドアが静かに開く音がした。外から開く音。ここに居て何も見えないのに、嫌なモノが、怖いモノが、来た、という感覚になる。 「すみちゃんいいか?何言われても黙って此処に隠れてろよ?」 「……はい」 何か、は確実に店内に入って来た。かすれ声みたいな調子で榊さんに返す。 歌が、聞こえて来た。 “祭りや祭りや 人の子賑やかし 今宵の空に 花火数多も打ち上がれば 鎮魂の意さえ 去りし今の世の 祭りや祭りや 我らの晩は 興も今ぞ これからよ” あんまりはっきりしないけど、こんな風に聞こえる。分かるような分からないような、そんな歌だ。 私も榊さんも、微動だにしない。歌声たちは店内を一周した。団体でぞろぞろ移動してるなら、全部が店内へ入り切らない気がするけど、今この中がどうなっているかは、絶対確かめたくない。倉庫から出て来て騒がしかった足音も消えた。 早く出て行ってほしい。 「おや。人の子の匂いだ」 うわあ。 嫌に通る声に、心臓がひっくり返りそうになる。わやわやと、様々な声が起きて、足音が事務所に向かって来た。 事務所の出入口は一つ。逃げようが無い。 がたり、とドアが開く。衣擦れのような音がゆっくり入って来て、こちらへ、近付いて来る。 もう助からないと思って、強く目を閉じた。 「う、わ」 榊さんの声。 目を開ける。それで私は初めて榊さんと、それを見た。闇より真っ黒な、人。それが真っ白な着物を羽織っているだけの姿だった。あれだけ大勢の声がしたのに、入ってきたのはこれだけだったのだ。 “人の子だ” 楽しげで、それでいて怖い声音だった。 背が冷える。 榊さんはあっという間に引きずられて、事務所を出て行く。 あまりの早さと光景に、直ぐにはうごけなかった。 どうしよう。連れ戻さないと。 立ち上がったはいいけど、何も思い付かない。辺りを見渡して、吉瑞さんが置いていった法被が目に付く。 これを被って行こう。何故か、そう思った。 闇で見えないけど、真っ赤な法被を頭から被せる。 歌声が、店を出て行く。ドアの陰から百鬼夜行の様子を伺う。白い着物の化け物と榊さんは、化け物たちの列の最後尾にいる。榊さんは気を失っているのか、ぐったりしているように見えた。されるまま、引きずられている。 このまま行かせたらまずい。 そういえば、何で私は見つからなかったんだろう?声は出してないけど、榊さんの真隣に居たのに。 でも、今はそんな場合じゃない。考えないと。 塩、は……そうだ、カウンター下にある。榊さんが前使ってそのままだ。あとは酒?ワンカップでいけるだろうか。 最後尾の二人が店を出る。 その瞬間に、私も事務所を出た。闇の中、塩を拾い、酒コーナーへ走る。これで取り戻せるかなんて分からない。 それでも、やるしかない。 “人の子の匂いがまだする” “あれ 見つけたのは一人と思ったのに” 外がざわついている。 暗闇の中、売り物のワンカップのフタを取った。更に二〜三本用意する。 大体、今更百鬼夜行がなんだ。こちとらもっと訳分からんモノに追われた経験あるわ。 何故か、腹が立って来た。 連れて行かれた榊さんにも、百鬼夜行にも、店のお化けどもにも、そして一番、それらに何も出来ない、私自身にも。 すっかり感情的になった私は、全てを抱え、店の出入口へ駆けた。 バン!と乱暴にドアを開け放つ。 怯んだ空気を感じたが、私はまだ、腹が立っている。 「そこの人間を置いてさっさと帰れ!百鬼夜行ども!!!!」 “これはもしや ハンゴンの!” 何か団体がいて、私を見て驚いた様子にも見えたが、構わない。私は塩と酒をぶちまけた。妙に、手応えを感じる。 白い着物の化け物が、榊さんの手を離して消えたのを確認すると、他のモノたちも一瞬で消えた。 予備の酒を構えて道に出ると、店から駅へ向かう方向で、 “逃げや 逃げや ハンゴンの力を継がれては敵わぬ” と焦った声たちがそのまま遠ざかるのが聞こえて、やがて消えた。 身体から力が抜ける。振り向いたら、私を凝視する榊さんと目が合った。 深夜、街灯の下で、真っ赤な法被を頭から被り、酒を構える浴衣の若い女。 新しい都市伝説か。 急に冷静になって、法被を肩に掛ける。 あとは、いつもの夜だった。 「ありがとな、すみちゃん」 閉店後。 煌々と明かりが点る佐和商店。 倉庫には、やはり変わらずお化けの気配がある。百鬼夜行と一緒に居なくなってくれても良かったのになあ。 最初は一緒にその事実に嘆いていた榊さんだったが、パイプ椅子に座ると、いつになく優しい目で私を見上げてくる。 「……止めてください。八つ当たりが成功しただけです」 カウンターに背を預け、私は自己嫌悪に陥り、団扇で顔を隠す。事実そうだったのだ。運が良かっただけ。 「声出ないし身体動かないし、気付いたら気絶してるし、おじさん格好つかなくて情け無いったらないよ〜」 「別に、格好つくとかつかないとか無いじゃないですか……百鬼夜行に行き遭って」 分かりやすくへこむ榊さんに、私も何と言ったらいいか分からない。 「……お互い怪我もなく無事だったんですから、もう良いじゃないですか」 「しばらく引きずるわー。とりあえず何か奢るよおじさん」 「奢ってもらえるのも良いんですが。……酒と塩の片付け、手伝ってもらえますか?」 団扇を少しずらして、榊さんを見る。 目が合った榊さんは、変わらぬ優しい目のまま声を出して笑った。 「ああ、もちろん」 ホッとして、ようやく私も笑うことが出来た。
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