マンホール炎上

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 2月28日。  N県警の青樹は23時に中井コイトの携帯に電話を入れた。 「夜分すみません。N県警の青樹です。今日は何か連絡はきましたか」 「いえ、今日も何もありません」  小さくつぶやくような声で電話口のコイトは言った。 「分かりました。明日の朝にかけて何かあるかもしれません。その時はどうかすぐにご連絡ください」 「はい」 「ありがとうございます」 「あの」とコイトは口ごもった。 「ナオちゃんは、犯人なんでしょうか」 「そうしたことを含めて、残念ですが捜査状況はお伝え出来ないのです。申し訳ないですがご理解ください。必ず追って状況はご説明します」 「分かりました。すみませんでした」  そう言ってコイトは電話を切った。  中井コイトに初めてコンタクトを取ったのは、2月15日だった。すでに6件もの未解決放火事件について捜査が遅滞していた。捜査本部は焦ってもいた。  N市の連続放火については、それぞれの犯行動機が分からず、また場所の特定もできなかったため難航した。2月3日にはN市民会館搬入口付近での放火があった。マスコミが色めき立ったが手掛かりがつかめず、その後は1月と同じように3日続いた放火事件が中断した。防犯カメラの分析の方も進捗がなかった。  捜査本部が連続放火とチューリップロードのマンホールの絵柄との関連に気が付いたのは月半ばの2月15日だった。2月2日のチューリップ園を調べていた捜査員が偶然発見した。ようやく犯行の意図が解明し捜査本部が動いた。すぐさま捜査班は各方面に散った。参考人は9名。5年前にマンホールデザインを描いた護国中学校の生徒9名。その内3名が東京に出ていた。青樹が担当することになった。一番の有力な参考人は、当時3年1組の中井コイトであった。  その日の夜に青樹は中井コイトのアパートを訪ねた。コイトが描いたマンホールデザインの絵を持参した。この絵はどこかという問いに対してコイトは最初躊躇したが、実はと言って答えた。従兄弟の北山ナオヤの教会であると。  コイトは終始不安な表情を浮かべていた。その理由を聞いて青樹は緊張した。  今月6日に北山ナオヤがコイトのアパートを訪問していた。犯行計画が分かったと、自作の表を見せながら興奮してコイトに話した。そして自分が犯人を捕まえると。青樹はそれを鵜呑みにしていない。もしナオヤが犯人だとしたら――。彼がコイトの家を訪ねてきた意図は明白だ。コイトの書いた絵の場所を聞き出すことだ。 「中井さんの絵について、それがどこの絵であるのか聞いてきたのはナオヤさんだけですか」  という問いに、コイトはそうですと答えた。 「これまでに、あの絵がナオヤさんの教会であると話した相手はいますか」 「それが、本当に記憶にないので……」  コイトは申し訳なさそうに答えた。  青樹は協力に感謝しながら、事件解決までは決して警察から連絡を受けていることを他言しないように依頼した。  捜査の対象は、護国中学の9名を中心に行っていたが、ここに北山ナオヤが最有力の重要参考人として加わった。その後、絵を描いた9名の事件当日のアリバイが洗われたものの、目立った結果は出ていなかった。犯行があった計6日間について、全員が複数の日付においてアリバイが証明された。6日間すべてにアリバイが無かった者はいない。そこに北山ナオヤが加わった。彼は1月2月は無職で東京のアパートにいたことになっている。明確なアリバイがあるとは考えづらかった。  それと気になる情報をコイトから得ていた。ナオヤは中学時代に苅田龍壱からいじめを受けて不登校になっている。そのことと放火事件に関りがあるのではないかというのが青樹の第一感としてあった。  教会の絵の件はナオヤしか知らないことなのか、それとも何人かの人間が知っているのか。いずれにしろ、3月1日にナオヤの実家の教会が放火されるかどうかで分かる。もし放火が無ければ、これまでの放火事件はナオヤの犯行であった可能性が高まる。まさか自ら自宅に火を点けるとは考えられないし、そうであれば狂人の仕業だ。逆に教会が放火された場合は、ナオヤ以外の犯行と考えられる。当日は教会周辺を捜査員で固める。確実に犯人を逮捕する。そのために、北山ナオヤは泳がせろ、と指示が出た。 「それとも、奴は自宅に火を放つだろうか」  と青樹はふと思った。
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