アセクシャルでも恋がしたい

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 私は幼い頃からずっと女優になりたかった。自分ではない誰かになりたかった。けれど堅実志向な両親は、娘が若くして芸能界に進むことを反対した。素直な子になるように、直子(なおこ)と名付けられた私は、反抗を許されなかった。それでも何度も何度もしつこく頼み込む私に、両親はこう言った。 「きちんと大学を出て、大人になって、自分で全ての責任が取れるようになったら好きにしなさい」  その言葉通りに、私は真面目に勉強をして、未成年のうちはアルバイトもできなかった。両親の納得するレベルの大学に進学し、そこでやっとアルバイトを始めて、学業と両立しながらも一生懸命にお金を貯めた。  そうして大学卒業後。晴れて自由の身になった私は、貯めたお金で上京し、一人暮らしを始めて、アクターズスクールに通うことになった。  つまり、私がやっと芝居の勉強を始められた時には、既に二十二歳だったのである。  この令和の時代、いくつになってからでも夢は追える、などというが現実はそうではない。そういう人間が悪く言われる風潮が薄れている、というだけであって、世の中が欲しているのはいつだって若人だ。特に芸能界は、逆行して更に低年齢化が進んでいると言ってもいい。女は特に。  アクターズスクールで私が振り分けられたクラスは、半数以上が十代だった。現役高校生、現役大学生。十五歳以下はジュニアクラスに振られる。ここに居ないだけで、彼らより若い子たちもたくさんいた。  私は歯噛みした。自分が出遅れていることはわかっていた。そもそも、スクールには入れたものの、一般のオーディションをほとんど受けなかったのは年齢制限に引っかかったからだ。表向きは年齢制限を設けていなくとも、過去の合格者は全て十代ということもある。  しかしこれは採用視点から見れば当然と言える。いったい誰が田舎から出てきた未経験の年増を育てて売り出そうなどと思うのか。  輝かしい実績も絶世の美貌も持たない私がとれる道は限られる。お金を払ってスクールで演技を基礎から学び、芝居の実力でオーディションに合格するしかない。  今の時代ではSNSや配信で一発逆転を狙うことも可能ではあるが、これは諸刃の剣だ。もし一度でも炎上やコンプライアンス違反をすれば、それはデジタルタトゥーとなって一生ネットに残り、まともな事務所なら絶対に所属させない。爆弾を抱えるようなものだからだ。容姿や特殊技能で人目を引けない私がこの手段を取るメリットは何もない。  私は絶対にここから成り上がるのだと決意した。今までの人生全て、この時のために努力してきたのだから。
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