アセクシャルでも恋がしたい

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 スクールに通い出して二年。私は二十四歳になっていた。  芝居の実力は確実に上がったと思う。得意な芝居では演出家にOKを出してもらえることも増えた。ただ、私には決定的に苦手な分野があった。 「だからそうじゃねぇって言ってるだろうが!」  演出家が台本を机に叩きつけた。ばしん、という大きな音に数名のクラスメイトの肩が跳ねる。 「色気が全然感じられねぇ! ベッドシーンだぞ!? そんな芝居で男が誘えるか!」  舞台のためベッドシーンと言っても実際に絡むわけではないが、意図するところは同じである。女の情欲、相手に向ける狂おしいほどの恋情。それが私には表現できない。 「お前なんか歳食ってんだから、若いやつらに勝てるとしたらこういうところしかねぇだろうが! 人生経験の深み! 大人の女の色気! それが出せなきゃ使い道なんかねぇぞ!」  乱暴な言葉に聞こえるが、演出家や事務所にとって役者は商品だ。商品価値が見出せなければ切り捨てられる。これは、生き残るために必要な条件を提示してくれているのだ。  私にも必要性はわかっている。けれども、台本の女の感情が、私には理解できない。国語の問題のように頭で理解して文字にすることはできても、真に心で感じることができない。 「もうお前十人でも二十人でも男捕まえて抱かれて来い! 変わったら見てやる」  演出家が大きな溜息を吐いて、その日の私の出番は終了となった。私は唇を噛みしめたまま、他の人たちの芝居を見ていた。今は、十六歳の現役女子高生の番だった。  若く瑞々しい芝居。可憐な乙女心。これが、スタンダードな女優だろう。清楚なヒロインとして売り出して、国営放送やゴールデンタイムのドラマの主演を務め、知名度が上がったら個性的な役もやらせてみる。そうして元ヒロインが歳を重ねた結果が、実力派の脇役だ。歳が上なら美味しい脇役を狙えばいい、なんて簡単な話ではない。  私はもう王道は辿れない。ならば新人で素直な大人の女として、使い勝手の良い役者になるしかない。  日本の作品において、恋愛要素を含まないものはほとんどない。つまり、女優が恋愛を演じることは絶対条件と言ってもいい。  しかし。私は、人生において一度も恋愛をしたことがない。
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