二話

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二話

昭和63年4月、10間の研修が終わり孝介の配属は埼玉県郊外の加須支店だった。昭和は翌年の64年が1月7日までだったので、実質昭和最後の新卒入社である。加須支店は全部で35の支店の中で中くらいの規模だ。元々は福岡県の会社で、孝介の就職から8年前に関東に進出した会社で、従業員も比較的若い人が多く、それも九州出身者が多くて、孝介のように関東出身者が当時は珍しかった。 加須支店には1週間後に結婚する支店長と営業の先輩が2人、あとパートさん2人という構成だ。 仕事は仏壇の販売。売り方は支店に来店されたお客様の販売と、あとはほとんど飛込みだ。新人の孝介は主に支店に来たお客様相手や配達、お店の雑用が主な仕事だった。支店長が休みをくれない人で、まず月初に3日間シフトで休みになる。そのうち1日が午後から出勤になる。さらに月末だと数字が悪いからとの理由で休みがなくなる。実質1日半しか休みがなかった。支店長は夕方になると「営業に行ってくる」とか言って、そのまま新婚の家に帰ってるのに、孝介や先輩達には帰宅を許さないような人だった。孝介は高校時代に野球部にいたのである程度の理不尽な振る舞いには慣れていたから、その点は野球をやっててよかったと思っている。 帰宅するのは大抵22時を過ぎることが多かった。寮では2DKに先輩と2人で住むことになった。しかしこの寮が酷かった。「入社前の話と違う!」と思ったもののあとの祭り。研修を終えて支店に初めて顔を出した時、パートさんが「えっ…アソコに住むの?」とギョッとしていた意味が今更分かった。この会社に入ろうと決めたのも寮はアパートに独り住まいだって言っていたのに…それにアパートじゃなくて長屋じゃないかっ!ホントに騙されたと孝介は思った。まだ昭和の時代、この頃の会社なんて、入社させるために平気でウソを言うこともザラだった。そんな時代だったのだ。現代の言葉で言えばブラック企業というやつだ。もう一人の先輩は実家からクルマで通っていた。一緒に住むことになった先輩、ワタナベさんはちょっと変わった人だった。
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