四話

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四話

了解に孝介と一緒に住んでいるワタナベさんは、結婚資金を貯めるために爪に火を灯すような生活を送っていた。 服や持ち物は大抵が貰いもの、クルマは仕事で使うから仕方なく買ったらしい。それも五万円だったそうだ。だからマニュアル車で、塗装も干からびているようなグレーのサニーだった。ご飯はと言えば朝、炊いたご飯をタッパに入れ、おかずは梅干し一個の日の丸弁当がほとんど。そして水筒にお茶を入れて出勤するのだ。当然夜は自炊だから、新入社員を食事に連れて行ったり一緒に飲みに行くと言う概念はない。ひたすら結婚資金を貯める生活を送っていた。当時はワタナベさんのクルマに同乗させてもらって出勤し、帰りも同じ家に帰るから同乗していた。仕事の帰りにワタナベさんと寄るのはいつも激安スーパーだった。ワタナベさんはそのスーパーの特売日にマルシンハンバーグを買うのが楽しみだった。何日かに一度は弁当のご飯の真ん中に梅干しの代わりにマルシンハンバーグをのせる日があり、そんな日は「今日はご馳走だーマルシンハンバーグ!」と朝からテンションが高かった。 ワタナベさんは営業をしていたが成績はよくなかった。たまに販売できても「売り方が悪い!」などと理不尽に怒られていた。毎日、毎日支店長から怒られて、暴言も浴びていたけどワタナベさんも素直じゃないから、はいはいと聞き入れるタイプではなく、支店長の言うことにちょくちょく反発していたから支店長がさらに炎上するのが支店での日常だった。ただ支店長は手を上げるようなことはしなかった。モノは投げていたけど。 ある日、いつものように支店長の怒号がワタナベさんに向かっていた。いつもなら反発するワタナベさんがこの日は珍しく静かだった。しかし話を聞いているようにも見えなかった。 帰りの車の中でもワタナベさんは終始無言だった。いつもの激安スーパーにも寄らず真っ直ぐ寮に帰った。 その頃の寮は長屋から新築のアパートになっていた。それは孝介が配属してまもなく郊外に開店する支店の事前営業支援に行った時のことだ。営業支援と聞こえはいいが、早い話飛込みセールスに新人が集められただけのことである。その飛込みは熾烈を極めた。朝9時から夜10時まで売れるまで帰ってくるなと営業のお偉いさんは言うし、仏壇の飛び込み営業だから、やっぱり縁起が悪いと思う人もいるのは確かだ。怒鳴られたり、水をかけられたり、時にはわざわざ台所まで行って塩を撒かれたこともあった。でもイヤなことばかりではなく、たまには家に上げてくれてお仏壇にお参りさせてもらって、お茶を出してくれる家も少なくなかった。孝介の足は慣れない革靴で歩き回ったので、豆だらけになった。なんとか最終日の夜になり、ささやかながら宴席が設けられた。その時は本部の銀行出身のS常務も来ていたんだけど、営業課長が「入社してからの不満を何でもいいから言え!」って言ったもんだから、孝介は「寮がボロボロで酷すぎる!はっきり言って騙された!」と言いたいことを言った。それを聞いた銀行出身のS常務が「なんとかせい!」と命令して、新築のアパートに移ることになった。しかし決まってからが面倒だった。まず、本部のF常務がわざわざ汚い寮まで見にきたのだ。部屋を見たF常務は「これは汚いね〜」と言って寮変更の承諾をしてくれて、夜は先輩2人と一緒に寿司までご馳走してくれた。このF常務も銀行出身だが、おおらかないい人だった。その後、営業課長が見にきた。その課長は「ふんっ 贅沢だ!」と言ってだけど、無事に新築アパートに引っ越すことができたのだ。
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