あの光る棒を振って。

5/5
前へ
/5ページ
次へ
 そのしばらくあと、雨の日が続いた。  部室に集まる先輩たちは、そわそわと落ち着かない様子だった。  交通警備研究会としては、ウィンターカップよりもこちらの方が重要な大会だと認識している先輩も多いというから、当然だろう。  もっとも、この大会に主催者はいない。 「ゲリラ警備の、大舞台だ」  会長が、握りこぶしをかためて静かに言った。  僕はその頼もしい様子を横目でほれぼれと見ていたけれど、三輪さんや昭島さんは、そっと目をそらしている。  鈴原はといえば、もう何巡目かの装備点検で忙しく顔も上げない。  窓には白く雨が打ち付けていて、室内には雨雲の動きを知らせる天気予報が流れている。古いデスクトップのPCには、ずっと気象庁のナウキャストが表示されていた。 「就活はどうしたんすか?」  普段とは違う、天然ぶった朗らかさで昭島さんがたずねる。会長は、ふんと胸をそらした。 「まあ、まだ選びかねてるってところだな、この俺が実力を思う存分ふるえる会社のポテンシャルってやつをな」  鈴原がチラリと目をあげて僕を厳しい目で見る。慌てて装備チェックに加わった。  そういえば、会長をこの室で見るのは初めてかもしれない。 「危なっかしい奴だな、おまえ」  警備棒の詰め込まれたボックスに頭を突っ込んでいると、ボソッと鈴原の声がした。 「指示どおりに動けないときは、オレを探せ」  顔をあげると、鈴原は私物である警備棒をかざして、何度か点滅させてみせる。普通より太くて、水玉が点滅しながら流れるような光り方に切り替え可能なものだ。すごく目立つ。  たしかに、先輩たちを見失ったときは鈴原のを目印にしたほうが良さそうだけど。 「雨天時ゲリラは、これが初めてじゃないよ」 「時間雨量50ミリ以上は、初めてだろ」  それなら鈴原も同じはずだ。言い返そうと顔を見たら、不意に、白いレインコートを着た姿が二重写しになった。二ッと笑った口元に、見覚えがあった。 「鈴原……」  もしかして、と言いかけたけど、三輪さんの声でそれどころではなくなった。 「連続雨量が基準値7割に到達――」 「雨雲が――」 「気象庁の――」  三輪さんと昭島さんが、短く言葉を交わし、うなずきあう。 「よし、出るぞ」  会長が、パイプ椅子から腰をあげないままで水を差した。 「ええ〜、まだいいだろ? 勇み足は禁物だぜ」  チェックを終えた鈴原は立ち上がり、昭島さんのほうだけを見て言う。 「積み込み、済ませておきます」 「ああ、頼む」  部室棟から学生用の駐車場まで、近いとはいえない。一人で運べる荷物ではないからと腰を上げた僕に、三輪さんが車のキーを放ってくれた。  軽自動車の定員は4人。だけど、雨の日は荷物も増えて後部座席を侵食する。今回は会長も車を出すそうだから、そちらにも積み込むのか、誰か1人は会長の車に分乗していくのかとなんとなく思っていた。  荷室スペースが広いワンボックスタイプの軽とはいえ、雨除けにブルーシートをかけた荷物を隙間なく積み込むのはちょっとしたテトリスになる。会長の車にいくらか積ませてもらえないのかとこぼした僕に、鈴原が呆れたように言った。 「ミーティング聞いてなかったのか?」 「聞いてたけど、会長の車に分乗とか荷物を乗せるとか、そんな話はしてなかっただろ?」 「だから、そういうことだ」 「カウントに入ってないってこと?」  会長なんだから、いろいろ免除とか、優遇されてるという意味だろうか。 「今回は、ちょっとのミスも許されない。お気楽なファン誘導とは違うんだよ」  僕たち交通警備研究会の大舞台――。  基準値を超えた大雨のときは通行禁止になる箇所の、ゲリラ誘導だ。 「地図は頭に入ってるだろうな」 「それ今、聞く?」  毎日イメージトレーニングは欠かしたことがない。ちょっとムッとして返すと、鈴原はまた、見覚えのある笑みで僕を見た。  それから、含み笑いのつぶやき。 「――なんで覚えてねんだろーな」 「覚えてるってば」 「ああ、あのへんの道路地図、迂回路、時間帯で変わる混雑状況なんかも、頭にたたきこんでるんだろ?」  意表を突かれて、今度は僕が鈴原をじっと見る番だった。 「おまえが交通警備に真剣なのは、ちゃんと分かってる」  それは、本当は先輩から鈴原に伝えられるべき言葉だったのに。  なぜか僕が、鈴原から言われて……その途端、その言葉がほしかったのは、僕も、僕こそ、僕の方こそだったんだと、気が付いてしまう。 「さあ、公式さんたちが現着するまで、そう時間はねえぞ」  ほんの数秒の、気まずいような、それでいてたがいの心がトラロープでつながったような、妙な感覚を振り払うように鈴原が言った。  公式さん――僕たち交通警備研究会の活動は、あくまでゲリラ警備だ。本来の管理者のことを、ゲリラの反対語として正規軍とか呼んでいた頃もあったらしい。けど、それだと「ゲリラ」に敵を混乱させる意味合いがついてしまうから、今の呼び方、敬意をこめて「公式さん」で落ち着いたのだと入会初期のオリエンテーションで習った。  公式さんは、その性質上、絶対に僕たちの活動を認めることはない。向こうが現場に到着したら、僕たちは即座に撤収だ。  ゲリラ警備活動が成功するか否かは、いかにして必要な現場を見極め、公式さんよりも早く到着して警備を開始するかにかかっている。当然、必要のない場所、必要のない時間帯では意味がないし、警備そのものが稚拙なものなら、研究会の存在意義からして揺らぐ。  時間と、質。  僕は鈴原に対してなにか言い残したことがあるような、不思議な心地がするのを喉の奥に押し戻した。  水たまりを蹴散らして、こちらへ走ってくる足音がする。先輩たちだ。  鳴り続けるノイズのような雨音が、急に静まり返った気がした。 「行くぞ」  昭島さんが言い、三輪さんが手振りで僕たちを後部座席へ促す。  ここからは、真剣勝負だ。 (続)
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加