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 元気な蝉の鳴き声をバックに、私は一人の青年と密室で二人きりだった。部屋は防音、クーラーを稼働させてはいるが28度以下には設定できないようになっているため、二人の吐く息で室温は上昇する一方だ。 「島谷さんっ……僕、もう限界っ」 「北川……」 「ねぇ、もういいでしょ? これ以上したら、壊れちゃうよっ……」 「しょうがないな……休憩、ちょっとだけだよ」 「はあっ」  北川は大きな吐息を吐くと、咥えていたモノから口を離した。金色のウツボカズラみたいな形状をした楽器──アルトサックスだ。そして私の目の前には白鍵と黒鍵が規則正しく並んでいる楽器──アップライトピアノがある。  ここは私が通う大学の教育学部棟三階にあるピアノ練習室の一室。経済学部二年の北川と文学部二年の私たち二人は畑違いの場所にいた。  ちなみに北川の言う『壊れちゃう』というのは口がもたないという意味だ。サックスはマウスピースと呼ばれる唄口を口に入れて吹くので、あまり長い時間吹いていると口が痛くなってくるらしい。 「サックス吹き始めてもう一週間でしょ? そろそろ慣れないと」 「一週間前よりは長く吹けるようになったと思うけど……」  一週間、それはすなわち私と北川がこうして会っている日数でもあるわけだが、別に恋人だとかそういう関係ではない。出会いは全くもって予期していなかった形だったので、もし過去に戻れるのなら夏休みに大学に勉強しに行こうだなんて思うな、と自分を叱責したい。でもどうしたって過去には戻れない。乗り掛かった舟、ということで北川に付き合ってあげている。 「一週間前は本当に酷かったもんね」  多少遠い目をしながら呟いたら、北川は「その節は本当にすみませんでした」と頭を下げてきた。別に責めてるわけじゃないんだけど。
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