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前編
アルファになって、10年が経過した。
飯嶋 茜太は社会人三年目のαである。中学卒業前、15歳ギリギリでαの判定を受けた。まさかと思って再検査を受けたが、結果が変わる事は無かった。
それ迄、まあまあ出来の良いβとして生きてきた茜太は、一気に生き辛くなった。βの中では悪くなくても、αであるとなると一気にハードルが上がる。何て面倒なんだろうか、と茜太は溜息を吐いた。
αは別格。でもとても数が少ない。一部の超優秀で特別なαが世界を牽引していると言っても、人類の9割以上はβが占めている。いくら優秀で有能でもαとΩだけで世界は成り立たない。
αがその頭脳をフルに活かせるのは、その他大勢でしかないβ達のマンパワーがあってこそ。結局、世の中を動かしているのはβだ。
茜太はそんなβである自分の人生を悪くないと思っていたし、別に選ばれた人類だと言われるαに憧れた事もなかった。それに、βとしては成績も運動も優秀で、それなりの有名私立高校に進学も決まっていた。
なのに、卒業前のバース検査でα判定が出た。
あまり無い事だ。一般的に、自己認識力の高い種であるαは、発現が早いと言われている。それこそ、3歳頃から才能を発揮し始める者も居るし、年齢と共に言動にも現れて来て、個人差はあるが、12歳頃迄には覚醒するというのが大体のパターンだと言われている。稀に後発的にα性が現れる事もあるらしいけれど、そういうαはαの中でも更にチートである場合が多いらしい。
だが。
茜太は、βだった頃と、そう変わらなかった。
能力値も、何もかも。
αという届出により進学先の高校では急遽α専用クラスに入れられたが、βにしてはそれなりにイケていたものの、眉目秀麗で体格に恵まれたα達の中ではあっという間に埋もれた。
身長は伸びたが、それだけだった。成績もそこそこ、しかしαクラスの中ではドンケツだ。つまり、落ちこぼれ。しかし、それでも有名私立高校のαクラス出身者だから、大学もそれなりのところに行けた。就職も、まずまずの企業に内定が決まった。
高望みする気の無かった茜太はそれで満足していたが、就職してからが問題だった。
αという事で過大な期待をかけられていた茜太だったが、働き始めても特に目覚ましい活躍が出来るわけも無く、3年目。とはいえ未だ3年という見方もあるのだが、αという事で、最初から本人の能力値以上の事を求められている。周りや上司の目も厳しくなってきて、しまいには『期待外れ』だとか、『じゃない方』やら、他にも散々な言われ方で揶揄される。楽天的な性格に助けられてきていた茜太も、10年も自分の頑張りを否定され続けると、流石にきつくなってきた。
βである周りの同僚達よりは、成果を上げてるつもりだ。だって、茜太はβの中では優秀だった。なのに、αというだけで、その成果は期待外れだと言われてしまう。
ある日突然、αなんて余計な肩書きをつけられてしまっただけで。茜太の中身は何も変わってはいないと言うのに。
会社でできた後輩の彼女も、最初こそはαのカレシだと友人達にも自慢してくれたのだが、会社の他のα達のように成果を上げる様子も無く評価が良い訳でもない茜太に早々に見切りをつけたらしい。自分の思い通りに出世しないのではと思ったのかもしれない。
αになってから寄って来た女性達は、何時も同じだった。
αにしては取っ付き易く落とし易いと見て近寄ってきては、思っていたαとは違うと去る。
βのままならこんな風には扱われなかったに違いない。きっとそれなりに上げた成果を賞賛されて、自慢のカレシのままでいられた。
αだから。αなんかになってしまったから。
あのα判定が自分の人生のケチのつき始めだと、茜太は恨めしく思う。
15のあの日から、茜太は溜息を吐くのが癖になっていた。
その日、茜太は珍しく上機嫌で家路についた。
『辞めます。』
そう言って上司に昨日書いた辞表を叩き付けてやったからだ。上司は驚いていたが、この10年で一番スッとした。
意外な事に引き止められたので、『僕は期待外れなんでしょう?』と笑いながら言ってやると、黙った。上司にも同僚達にも謝罪はされたが、それを許すには、既に茜太の心は傷つき過ぎていた。
社会人なのに、とか、無責任だ、とか、子供じゃあるまいしこんな事くらいで、とか。何とでも言えば良い。
茜太は人並み以上にはやれていた筈なのだ。結果は出していた、それは数字にも現れていた。なのに、どれだけ頑張っても足りないと言われる。他のαと比べられて、もっと出せる筈だと、激励というより叱咤された記憶しかない。たまに通常よりも成果を上げられても、今度はαだから当然だとしか言われない。
ほとほと馬鹿らしくなった。
なら、最初からバース性なんか重要視されないような所でバイトでもして、他のα達となんか比較されない場所で生きていく方が良い。
給料なんか安くても良い。自分の精神と自尊心が、必要以上に傷つけられないところなら何処でも。
『αなのに。』が付かないなら、クレームだって怒鳴られるのだって平気に思えた。
自分のデスクに置いてあった荷物は用意してあった箱に入れて、会社近くのコンビニから自宅に送った。持って帰るには少し嵩張ったし、それに今夜は飲んで帰りたかった。
ブラックという程ではなかったけれど、残業は多かった。上司のお供や彼女とのデートで何度かバーに行った以外では、あまり一人で飲みに行った事も無い。
流されていた部分もあったけれど、基本的には周囲の期待に応えようと頑張って生きてきたつもりだ。αらしくいなければと、肩肘張って。元々はのんびり屋でおおらかな人懐っこい性格だったのに、周りのα達のように振る舞わなければならないのだと、無駄に喋らないようにした。どうやらαは王様のように孤高でなければならないらしいし、プライド高く居なければならないらしい。
思えばαとしての人生が始まった高校時代、αクラスでは、そんな王様達が競い合っていた。しかしそこに入っていくのを避けた茜太には、ライバルも友人も出来なかった。それに、αクラスで成績の伸び悩んだ茜太はクラスメイト達からも見下されていた。
その高校はαクラスとβクラスは校舎からして別で、行事以外では交流もあまり無かった。中学では友人に囲まれていたのに突然孤独になって、本当に辛かった。
大学では多少マシな状況になったが、社会人になったら今度は、周囲の求める自分と、実際の自分自身との齟齬があまりに大きくて、それを埋められない事に精神が疲弊していくばかりだった。
昨日、会社近くの公園のベンチで昼食を食べていた時。ふとこの先ずっとこんな人生が続くのかと思ったら、無理だと思った。本当に突然、もう嫌だと。だから帰宅してから、辞表を書いた。
それで今日、朝礼後に上司に辞表を出した。
全く後悔していないし、何ならスキップしたいくらいだ。もしかしたら何日か後に後悔したりするだろうか?と想像してみたけれど、全くそんな気がしない。
ウキウキしながら宅配手続きをしたコンビニを出て歩き出すと、パラパラ小雨が降ってきた。何時もなら厄介だなと思うのだが、今日はそれもちょっと楽しい。
「あはは。」
茜太はパラパラと降る雨に髪やスーツを濡らしながら歩く事にした。清潔感のある短い黒髪に細かい水滴がつく。出てきたばかりのコンビニには傘が売っているけれど、買いに戻る気は無い。
(一番近い繁華街って何処だっけ…?)
雨を弾いていた髪が、徐々にしっとり濡れていく。
雨は楽しいけれど、あんまり濡れると入る店には敬遠されてしまうだろうか。
それでもうきうきと、足取りは軽い。明日の出社時間を気にせず、二日酔いも気にせず、何も気にせず楽しんで良い夜。
茜太は完全に浮かれていた。
そんな茜太を、車の中から見つめる男が、ひとり…。
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