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②
退院予定日が決まると、自分がいない間に恐らく大変なことになっているだろう会社のことを思うと溜め息が出たが、やはり俺がいなくては駄目だな――と色々なことを飲み込んで退院後すぐにでも仕事に復帰するつもりでいた。
こんなことになってもまだそんなことを考えてしまう自分に呆れたが、もうこれは性分としか言いようがなく、知らん顔をする方がストレスなのだからしょうがないのだと開き直ることにした。
現状把握の為少しでも情報を得ようと、存在だけは知っていたが参加したことがなかった部内のグループチャットを覗いてみることにした。
存在だけは知っていたと言ったが、俺が今まで一度も参加しなかったのは単純にそんな暇がなかったからだが、みんなは頻繁に活用しているようだったし、こっそり情報を得るには丁度いいと思ったのだ。
なにをするにもまずは情報収集しなくては。
俺の目は常に外に向いており、内、つまりは一緒に働くみんなのことは見ていなかったのだ。まだこの時はその事実に気づいてもいなかったが――。
そこで少しの悪戯を思いついた。俺は他人になりすまし、会社の現状についてもだが俺についてもなにか聞けないかと思った。やはり入院中なんの連絡もなく、誰も見舞いに来なかったことが引っかかっていたのだ。
後できちんと種明かしはするつもりで、退職した駒田のアカウントを使うことにした。【※他人のアカウントの使用は絶対にやってはいけないことです】
社で使われるアカウントとパスワードはひとりにつきひとつずつであり、ふたつみっつと持つ者はいない。だからアカウントとパスワードを知っているということは、その人物の会社で管理されるすべてのことはその気になれば丸裸にできるということを意味し、本来自分以外の誰にも教えてはいけないのだが、必要に駆られて駒田本人からパスワードを聞いたことがあったのだ。
まぁ隠さずに言うと駒田はあの会社が傾きかけたミスの連鎖の最初のミスをした人物で、それを解決する際聞いたのだ。
最初は本当に小さなミスだったのに、ミスがミスを呼んでにっちもさっちもいかなくなってから駒田は俺を頼ってきた。本来なら上司に報告相談すべきところだが予想される損失があまりにも大きく、言うことができなかったらしい。だから同期で経験値の高い俺を頼ってしまったという話だった。
なにがどうなってこんなことになってしまったのかも、どうしたらいいのかも分からないと言う駒田に、俺はまず最初に全体を把握する為に駒田に知りうる情報すべてを開示させ(この中にアカウントとパスワードも含まれた)ひとつひとつの解決案を出していった。
表に立つのはあくまでも駒田で、俺は影に徹していた。
それは失敗した時の保険、というわけではない。
この問題が駒田ひとりの責任とも言えないミスで、部署全体がほんの小さなミスを繰り返し、それが駒田のミスに連なっていき大きくなってしまったのだと気づいたからだ。駒田は運悪く、気づかないうちに集団の先頭に立たされてしまっただけだと言えた。勿論そこに誰の悪意もなかったはずだが――。
だがそのことに気づけるヤツはそうはいないだろうから俺がいくら言っても駒田を庇っているとしかとられないだろうし、主に解決したのが俺だと知られれば駒田ひとりが責任を取らされることになると思ったのだ。だからミスはしたもののそれを自ら解決したということで相殺を狙った。
本当ならそんなことをしても意味はないし、そもそもがやってはいけないことなんだろうが上司である三戸口さんは情に厚く、よくも悪くも少し甘いところがあるからなんとかなると思ってのことだった。
相談を受けて数日で損失を最小限に抑え駒田に報告をさせると、俺の狙い通り駒田は三戸口さんから厳重注意は受けたものの大した処罰はされなかった。
ここ数日の寝ずの苦労が報われたこともだが、駒田が責任を押し付けられてクビにならなかったことに心底ほっとした。
俺は不当に手柄を奪われていいとは思ってはいないが、成果を独り占めしたいと思うほど腐ってもいなかった。ただ物事がうまくいくことが大事だった。だから誰の手柄であっても充分に成果を出せたのならそれでいい。これでみんなが楽しく仕事ができるなら――俺はどんな苦労も厭わない。
ただ今回は俺がもっと早くに気づいていればここまで大事にはなっていなかったはずだから、もう二度とこんなことが起きないように俺がもっと頑張らなければいけないとは思っていた――。
――それはいいとして、駒田が退職して半年以上経つのだから駒田のアカウントは普通なら使えないはずなのだが、アカウントの管理をしている高瀬さんはずぼらなところがあるからきっとまだ駒田のアカウントは生きていると確信していた。
ID、パスワードを入力後エンターキーをタンッと音がするほど叩くと、ディスプレイに【駒田さんが入室しました】の文字が表示された。
ほらな、と苦笑しながら流れる文字を目で追っていくと、丁度俺の後輩たちがチャットしているところだった。
もしやと思って入室したものの、まだ就業中だろうになにやってるんだと眉間に皺を寄せるが、このふたりのことは特に目をかけていたから困っていたら可哀そうだな、と気を取り直して画面を見つめた。
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