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「なん……だよ、あんた」 「僕? 僕は通りすがりの雇用主(・・・)です。というわけで、あなた僕のところで働きませんか?」  というわけってどういうわけだよ。雇用主って本気で言ってるのか?  俺たち初対面のはずだし、これは新手の詐欺かなんかか?  俺は男をギロリと睨んだが、素知らぬ顔だ。 「衣食住すべて僕が提供いたします。場所は僕の家なので変に気を遣う必要もないですし、その上お給料は――」  と胡散臭い笑顔のまま男は俺の目の前にすっと拳を突き出し、指を三本立てて見せた。 「――三、万……?」 「いえいえ、まさかまさか」 「三千ぇ……?」 「えーそっちいっちゃいますか。もうはっきり言っちゃいますね。三十万です」  いくらなんでも会ったばかりの見ず知らずの人間を捕まえて提示する金額じゃないだろう。怪しいことこの上ない。 「はぁ? あ、俺になにさせるつもりだっ。臓器売れとかそういうことなら――」 「なかなかに突拍子もないこと考えますね。いやー実におもしろい人だ」  くすくすと笑い始める男の態度に、普段なら流してしまうところだがなぜか腹が立った。 「バカにするなら……っ」 「すみません。バカにしたわけではないんですよ。仕事内容は……そうですね。『一日一回褒めること』です」 「やっぱりバカにしてるだろう!? 一日一回? なにを褒めるか知らないが、褒めたくらいで三十万なんてそんな話信じられるかっ!」  荒ぶる俺を気にした風もなく男は続ける。 「簡単そうに見えて実は簡単ではないんですよ? あ、簡単なお仕事ですって言ったのに矛盾してしまいますね。んーまぁあれはノリというか、煽り文句? とでも思っていただいて。では、話を戻しますが例えばあなたはその辺に吐き捨てられたガムに心から(・・・)「美しい」と言えますか? 嘘は駄目なんです。もう少し詳しく言いますと、お給料が発生するのは心から褒めることができたらで、一日の内に何度成功してもカウントされるのは日に一回のみ、三十万が支払われます。なので、十日間褒めることができたなら三百万というわけです。一応契約期間は一ヶ月としておりますので、褒めることができてもできなくても一ヶ月をもちまして雇用契約は終了とさせていただきます。また期間内でありましてもなにかしら継続不可能な問題が発生した場合も即時契約は破棄させていただきますので、その旨ご承知おき下さい。勿論それまでの間の衣食住、その他にかかった費用は請求いたしませんし、当たり前ですがお給料も一切支払われません。どうですか? 『いい話』にできるかどうかはあなた次第です」  ごくりと喉が鳴る。  この男と同じで聞けば聞くほど胡散臭い話だ。だが、今の俺にとっては魅力的な提案であるのも確かで、俺はすぐに断りその場を去ることができなかった。  心から褒めるっていうのには引っ掛かるし謎も多いが、失敗したとしても一ヶ月の間は生活の心配はないということになるから俺に損はないと言える。  今の俺にはお金もないし、住むところも頼れる友人すら居ない。今更両親を頼ることもできない。このままこの話に乗らなければ俺の未来はないだろう。  無職の一文無しのおっさんを待つのは地獄ばかりなりというわけだ。  それならいつ切れるとも知れない目の前に垂れてきた細い糸を掴む他ないのでは?  若干乗せられてしまった感はあるが、俺はもうどうにでもなれと差し出された男の手を握り、しっかりと握手を交わした。  俺に向ける男の顔はやっぱり胡散臭い笑顔だった。
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