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午後からの授業は、全て休講になっていた。
中央棟の入口の前には掲示板に貼られた休講のお知らせをスマートフォンで撮影して友人に送る生徒が群がっていて、わたしはそれを確認すると、すぐに建物から出る。サークルに入っていないわたしにとって、大学に長時間いる意味はあまりない。授業が終わればさっさと駅に向かうのが常だった。
キャンパスを出たところでバスに乗り込むと、そのまま文庫本を開いて空いた席に座る。車内の席は八割ほど埋まっていて、停車したバス停で、また新しく人が乗り込んでくる。
少し混み始めたな、と感じたけれど、相変わらずわたしの右隣には誰も座らない。流石に不自然だ。その不自然さに何人かの乗客の視線を感じた。
結局わたしは次のバス停が来る前に、自分から席を立った。
空いた二つの席には次のバス停で慌てて乗り込んできた女子大生が気にすることなく腰を下ろした。二人は構わずに携帯を見ながらこそこそと話しているが、何人かの視線は後ろの座席の前のポールに掴まって立つ、黒い帽子から白髪が覗く老紳士を気にかけていた。
わたしが開けた席に、彼は座らなかった。それなのに、彼はその小さなサングラスの視線をずっとわたしに向けている、ように思える。
――何なんだろう。
口元をマスクで覆い、時折そこがもそりと蠢く。肌がやや赤っぽく外国人を思わせたが、見える部分からは判然としなかった。とても春物とは思えない重そうな黒コートを着込んでいて、不気味という日本語がよく似合う。
交差点の信号が変わると、バスは駅前のターミナルに入っていく。この頃には流石に車内も混み合っていて、わたしはつり革を掴んで立ちながら、その初老のコートの男性がまだ乗っているのを何度か確認した。
バスが止まり、乗客が下りる。その波に任せて、わたしもステップを下りた。
少し駅の入口の方へと歩き出す。
スーツ姿の人波がずらずらと同じ方向に歩いていく。わたしもその一員になったかのように歩いていくけれど、何度か自分の背後にあの老人がいるのかどうかと振り返ってみる。
――何でもなかったのだろう。
駅に用事がなかったのか、彼の姿は見つからなかった。
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