私の彼女

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 私は言われた通り、何度も彼女に会いに行きました。世のことをあまり知らない彼女は、他愛のない私の話をいつも楽しそうに聞いています。それから、少し羨ましそうな顔をするので、私は一つ見せたいと思いました。 「シャボン玉をご存知かしら」 「聞いたことはあります」 「最近子供たちの間で流行っているのですよ」  そう言って私は、もう勝手のわかる部屋で、青磁色の石鹸と、小皿に水を少し入れたものを持って、彼女のところに戻ります。学生鞄から取り出した麦の藁、彼女は不思議そうに私の行動をまだ追っています。それが幼い子供のようでついつい笑ってしまいます。  石鹸を水に溶かし、藁の先を液に浸して、静かに吹くと、以前試した時と同じように五色輝く透明の玉が膨らみました。 「きれい……」  彼女の目が輝いたように見え、次は何を見せてあげようかと、また明日のことを考えてしまいます。  私の手元と、宙に浮く玉を交互に見やる彼女に、まるで姉のようにぶって言いました。 「まだるっこい」 「え、」 「まだるっこいと言ったのです。やりたいならやりたいと言いなさい」 「でも……」 「私たちの、間柄でしょう?」 「はい……! 私やりたいです!」  不思議な関係でした。もう同じ学校に通っていない私たちは、同級生という関係性で呼ぶことはできません。とは言え、お友達というに関係にも思えません。それでも彼女は、おそらく私のことを誰よりも知っています。他人ですが、誰よりもお互いのことを知っている、この関係が心地良いと感じていました。 「それは……」 「庭が広いのに何も華がないから、持ってきたのです」  ある日、私は根っこごと家の庭から持ち出し、花を数本、彼女の庭に埋めました。何度も訪れているけれど、一向にご家族に出くわすことがありません。存じ上げている上で放置しているのかもしれませんが、どちらにしても、この家は彼女には優しくないことは間違いないでしょう。庭も雑草が生えております、一部は彼女が暇を持て余したことで整地されていますが、景色はお世辞にも良いものではありません。そのことがどうしても淋しく思うのでございます。 「一つ二つ、失くなったからと言って、世話をしているのは私ですから、心配いりません」 「枯らしてしまうかもしれません……」  数日前から彼女の容態はあまりよろしくありませんでした。布団から出られず、人の手を借りなければ起き上がれないほどまで弱ってしまっていました。花に水をあげることも難しいことでしょう。 「私が来るでしょう?」  私は心の内を知られまいと、何でもないことのように言いました。それが彼女には大変嬉しいことだったようで、また鈴を鳴らすように笑いました。 「右の白い花はダリアですね」  ダリアは誰が見ても華麗な美しい花です。私にとって貴方はこれだけ美しく見えると伝えたかったのですが、目の前にすると恥ずかしくて頷くだけでした。本当は鈴蘭も植えたかったのですが、生憎今の時期には咲いていませんので、代わりに違う花を用意しました。 「この赤く萎んでいるのは、何という花ですか?」 「待宵草です、夕方に花が開いて朝にまた萎む変わった花なのですよ」  夜に庭見ると、少しは楽しめると考えて、持ってきました。正直萎んでいる間は綺麗とは言えません。けれども、私はこの花が月のようで好きでした。彼女も嬉しいと笑ってくださったので良かったです。 「千代子さんは色々なことを知っていますね」 「女は噂話がつきものですから」 「それにしてもですよ」  いいな、と度々彼女は口にしました。でも私はその言葉を否定したくて堪りません。私は単なる噂好きの女ではないのです。 「……自由になりたいの」  本当は結婚なんかしたくはないのでございます。私があの男に、特別な感情は抱かない理由は、そういうところにもあるのでしょう。そのような相手の子供など産みたくありません。私は人間だと声を上げて言いたい、長らくそう思い続け、外の話を良く集めるようになったのは、そんな理由でした。 「私も……自由になりたいです」  私はすぐに後悔しました。なんて最低なことを、そもそも彼女は家からすら出られません。 「ごめんなさい、意地悪いことを言いました」  細く弱った手が私の頬を撫でる、しかし力が抜けたようにすぐに床に落ちました。 「千代子さん、今夜会えないかしら」  私たちは終わりを悟っていました。藪医者が本当に藪医者ならば良かったのだと、そう思いました。  そして月が真上に、街が眠ったあと、私は忍ばせていた靴を履いて外に飛び出しました。夜の道は魔物が出そうで、彼女が連れていかれそうで、息が切れるのも気にせず、彼女の家まで走りました。  いつものように静かに裏口から庭に出ますと、彼女と目が合います。彼女は微笑みました。私は靴を脱ぎ、彼女の手を握ろうとすると、彼女の手には一通の絵封筒が握られていました。蝶の絵封筒でした。 「私たちに似合うと思いませんか?」 「……大切にするわ」  細い指を骨ごと折ってしまうほどに、強く握りしめました。彼女から握り返すことはできません。 「ありがとう千代子さん。私、貴方のおかげで淋しくない」  彼女はそのまま静かに眠りにつきました。そして二度と目を覚ますことはありません。人はこんなにも呆気なく、淋しく、死にゆくものなのです。  私は声を押し殺して泣きました。こんな夜更けに声など出して泣いてしまうものならば、他の部屋にいるものもここに来てしまうでしょう。あの人たちに彼女の死を、すぐに伝えたいとは一切思いませんでした。  彼女のそばに今いるのは私だけ、酷い、酷い、この子が何をしたというのでしょう。学校に憧れて、恋に憧れて、ただ生きたかった、それだけでした。それだけの望みすら叶わないのです。  文句も言わずに結婚してあげましょう、仕事を選ばずに言うことを聞きましょう。だから、どうか、  私の彼女(ヒロイン)を返してください。
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