ひつじが一匹

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 酔っ払いたちの笑い声の隙間で流れるBGMは、ばきばきに尖ってるボーカロイドの歌声だ。ふうん、センスいいじゃん。痛々しくて心臓にナイフをぶっ刺されるくらいの音楽が好きである。大人になったつもりでも、私はそういうしんどい凶器を抱いていたいのだと思う。  共感性羞恥で酒が飲める居酒屋ってすごくない? これだもん、毎週来ちゃうわけだよね。機械的な高音に耳を傾けて、脳内だけで口遊む。そんなことをしていればすぐに目的地へ辿り着いた。 「小林さん! 遅くまでお疲れさまです」  遅くなったのはあなたのせいだよ。私を見つけた道枝くんが立ち上がって挨拶をする。柔らかな髪を耳にかける仕草がとても麗しくて、色素の薄い容姿と相まって天使オブザイヤーだ。おめでとう。まだ上半期だけど、今年も受賞は確定です。  天使と仔犬のハーフである二十五歳の美少年は、年齢を感じさせない幼い笑みで私を出迎えた。清らかだなあと思うけど、私はつい嫌味をひとつ溢してしまう。 「むしろ道枝くんは早かったですね」 「すみませんってば、僕奢りますのでたんとお飲みくださいませ?」 「よし、破産させてやる」 「そう、その調子。モチベーションは大事です」  席に着いて電子メニュー板を眺めてみると、道枝くんがすでに注文を済ませてくれたようだった。注文履歴を確認すると、私の好物であるだし巻き卵が表示されている。さすが。 「小林さん、ハイボールでよかったですか?」  窺うようにこちらを見遣るけど、綺麗な顔にはさりげなく自信が滲み出ている。フリスビーを咥えた犬が褒めて褒めてと尻尾を振っている様子に近い。理想の上司でありたい私は、深く頷いてお礼をした。 「正解です、私がハイボールを飲みがちなのよく覚えてくれていましたね」 「小林さんあるある、食事のときはハイボール飲みがち」 「ハイボールあるある、種類あるけど結局値段が同じなら器が大きいのを頼みがち」
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