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もうほんっとにあり得ないのよ!
その一言から怒涛の愚痴が始まった。
綾乃はついさっきまで彼との夜の営みについて話す気満々だったにも関わらず、ここにきて溜めに溜めていた愚痴が盛大に吐き出されていた。
聞いている方は「どっちもどっちでは?」という些細なことではあったが、それは賢く口をつぐむ。夫婦の問題に第三者が口を挟んではいけないということは40年間生きていてよく知っているからだ。
その話を聞いているとまるで天の助けのように綾乃の携帯にメッセージが入った。旦那だった。娘が泣き止まない、という。
「さーなーちゃん」
『〜〜〜〜%$#&○◆@+*!!!』
しばらくそのメッセージを放置していた綾乃だが、ビデオ通話がかかってきた。画面を覗き込めばギャン泣きしている沙菜と困り果てた雅が映っている。
「沙菜ー!ままだよ〜」
「綾乃、もう帰りなよ」
「えー。雅、もう少し頑張れるよね?」
綾乃の言葉には有無を言わさない圧力があった。
夫婦間で何か約束をしたようなニュアンスを感じる。
「綾乃帰ろう。雅さん、綾乃のご機嫌ちゃんと取ってくださいね!」
『…ゔ、はい。そうですね。すみませんありがとうございます』
「こちらこそ、夜に綾乃を借りてすみません」
「ちょっと、私はモノじゃないのよ?自分の意思でここに来たのに」
綾乃が不貞腐れている。
そんな綾乃に苦笑していると沙菜の泣くボリュームが大きくなったので早々に通話を切り、帰る支度を始めた。
「綾乃ありがとね」
綾乃は店の近くでタクシーを拾った。なんだかんだ言って娘が心配で帰るなら早く帰りたいらしい。
「何言ってんの。お互いさまでしょ。千佳子ぐらいだもん、呼び出してくれるの。それが息抜きになったりするのよ」
千佳子には倫子や悦子という戦友もいる。でも彼女たちにこの話はできなかった。したところで共感はもらえない。ただ話を聞いてほしいだけだけど、やっぱり味方はしてほしい。悪い二人ではない。ただ思考の部分で合わないだけだ。二人とも仕事に邁進しているし好きなことをして輝いている。それは素直に尊敬できた。でも異性に対する考え方は異なる。綾乃はその辺りとても広く受け入れてくれる。否定も肯定もしないけど、千佳子の言葉には理解を示してくれた。だから千佳子は自分の思考を整理するつもりで綾乃に話した。話しながら自分はどうしたいかと考えて、やっぱり諦めたくないんだと気づいた。
「……居るかな」
平日の午後八時前。綾乃とは一時間ほどしか喋れなかった。でも大切な話はできた。聞いてもらいたいことも聞いてもらえて、自分がどうしたいかもわかった。だから今度は行動するだけ。
千佳子は人並みに逆らって大通りへと飛び出した。タクシーを捕まえるより、電車の方が早いだろう。地下鉄の入り口を見つけてヒールを鳴らしながら階段を降りる。改札を通って間も無く発車する電車に飛び乗った。
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