大人のレンアイってなんですか?

29/36
前へ
/119ページ
次へ
 真綿で包み込むような柔らかく優しい誘いに千佳子のグサグサに刻まれた心がふわりと温かくなる。大将は「お。やるな」と思いながら槇をちらりとみる。「このままじゃ持ってかれてしまうぞ」という大将の視線に槇はグッと言葉を飲み込む。  だけど千佳子が「いや」だと首を横に振った。槇は心のどこかでホッとしながら佐野を見る。佐野は千佳子を聞き分けのない子どものように扱った。  「…どうしてですか?千佳子さんは結婚したいんでしょう?」  「……そう、だけど」  「彼を想っても結婚はできないですよ?」    わかってる。わかってるわよ、そんなこと。  千佳子は心の中で何度も繰り返した。  「…でも」  「僕は千佳子さんの理想の旦那になれると思いません?」  「…そ、れは」  「条件は合ってますよね?それに僕は千佳子さんが好きですし、大切にしますよ。この人みたいないい加減な気持ちじゃありません」  畳み掛けるように佐野は千佳子に伝えた。落ち着いた声だが、どこか咎めるような棘を感じる。大将は「おお、これは昼ドラ並みにドロドロだ」と内心浮つきながら彼らのやりとりを見守った。  はぁ、と槇が顔を両手で覆って俯いた。  その態度に千佳子はまた傷つく。立ち上がって槇を見下ろしていたけど、千佳子はもうこの空間に居たくなかった。  「千佳」  でもそれを引き止めるように槇が千佳子を呼んだ。どこか泣きそうな顔で初めて千佳子が見る槇の隠したい部分だった。  「…俺は、大事にするってことが分からない。大事にしていたつもりだったけど悉く人が離れていくんだ。あぁ、俺は人を大事にできないやつなんだと思うとさ、だったら適当な距離感で離れた方がいいんじゃね?って思うんだ」  槇はよいしょ、と立つと鞄を持つ。  千佳子はようやく心の奥底に秘められた槇の弱さを知って胸が痛んだ。  「俺は、多分、お前を傷つける。それでもいいか?」  槇はまっすぐ千佳子を見て言った。喉の奥が熱くてうまく言葉が出てこない。唇が震えるし、勝手に涙が出てくる。それでもようやく向き合ってくれたのだから何か言わないと、と千佳子は必死に言葉を選んだ。  「…わ、私だって、きっと傷つけるわ。でも、ちゃんと向き合ってくれるなら何度だってやり直せると思うの。ずっと目を背けて生きてきたならすぐに難しいとは思う、けど」  「うん」  槇はもう観念したように片手で千佳子を抱きしめた。  「悪かった」と一言だけ呟く。その言葉に千佳子が「ほんとに!」と返せばいつもの槇らしからぬどこかしんみりとした表情に千佳子はそれ以上何も言えなかった。  
/119ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5534人が本棚に入れています
本棚に追加