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涼やかに振る舞っているつもりでも、内心はかなり焦っていた。緊張で顔を上げられない私に、相手は澄ました美声で用件を告げる。
「朝の散歩のお時間ですので、このレグルスめがお迎えにあがりました」
やった! 自分から名乗ってくれた!
おそるおそる視線を上げれば、確かに目の前の人と私が知る『レグルス』のイメージは一致していた。
淡い緑色の髪。神経質そうな面立ちに片眼鏡を嵌めた、いかにも彼のポジションに似合った見た目。
レグルス。作者曰く、敵サイドで一番潔癖な彼のお役目は、魔王の右腕。ずばり参謀キャラである!
魔王城のクールビューティー! 朝のお散歩でしたっけ? 舞い上がった私は全身で歓迎しかけ、そこではたと気が付いた。
「どうしてレグルスが来るのですか? 朝に私を訪ねるのは、いつもシャウラの役目だったでしょう」
小説がそうなんだから間違いない。ラミアの従者はシャウラだし、その主従が朝一に散歩しているシーンは『作者の趣味かな?』と思うくらいにはよく出てくるのだ。
小首をかしぐ私に、レグルスの赤い双眸が優しげに細まった。
「起き抜きで寝惚けていらっしゃるのですか? 朝のご挨拶はいつも、私からさせていただいていたはずですが」
本当に〜? ……というか、レグルスがまめまめしいのって魔王にだけで、他の扱いはぞんざいだったと思う。魔王の娘のラミアにだって、結構厳しかったはずだもの。
「嘘おっしゃい。私がそんな寝惚けた程度で、つまらない記憶違いなどするものですか」
あんなに夢中になって追っていた作品なんだから。じっ、と目をすがめて相手を見つめると、氷の参謀は口の端をわずかに歪めた。
「……失礼しました。常よりシャウラが羨ましかったもので、ついからかってしまいました」
「……」
その華麗な手のひら返しで、もやもやと抱いていた疑念が確信に変わった。レグルスってば、私に鎌かけたんだ。
名前はすぐに教える。そうやって私を安心させておいて、ボロが出るのを誘ったんだ。
ラミアに別人格が入ったって、勘づいているのかもしれない。それとも魔王様がレグルスに相談した? ……いずれにしても、気を付けて応対しないと、敵だと思われたら排除されちゃう。
愛しこそすれ、私は魔王軍の敵ではないですよ。体はそのままラミアなんだし、お父様と相談して処さないでね。
「貴方が私をからかいたがる理由は分かりませんが、まぁいいでしょう。それで、シャウラはどこにいるのですか?」
「朝の散歩は不要だと言って、前庭の掃除に加わるよう命じました」
「ふぅん」
ちり、と胸が小さく弾けるのを自覚しながら、私は一歩レグルスに近付いた。金縁の美しい扉を後ろ手に締め、唇の両端を均等に持ち上げる。
「それなら怪鳥……ルフでのお散歩はキャンセルのままでいいです。その代わり……そうね、レグルスの執務風景を見せてくださいませ」
「私の? なぜ」
と眉根を寄せるレグルスに、私は畳み掛けるように言った。
「嫌ですか? 私、シャウラを勝手に使われて怒っているのですけれど。いくら貴方でも、他人の従者に命令する権限があったかどうか……確かめるために、二人でお父様のところへ行くのもありかしらね?」
魔王は娘を贔屓しないけど、正しい判断はしてくれる。
でしょう? と私が首を傾けると、レグルスは渋顔のまま小さく頷いた。魔王のところへ行くのではなく、執務室を見せてもいいですよ、という意味だ。
レグルスは片眼鏡の縁を触ると、軍靴を響かせ身を翻した。金糸で装飾された黒軍服が格好いい。彼の細身に似合うなぁ、と思いながら一緒に歩いていると、
「私の執務風景なんて、つまらないですよ」
と彼は嫌そうに呟いた。それがなんだか愚痴っぽく聞こえて、私は悪女らしく微笑んだのだった。
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