いつもは塩な先輩が寒くなると甘えてくる話

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「おかえりなさ~い!遅かったですね。また無理したんじゃないでしょうね? お疲れ様」  そう言って廊下に、パタパタとスリッパを鳴らしながら、満面の笑みで出てきた恋人の姿に俺は呆然とした。 「二葉……何でもう帰って来てんの……来週の火曜日なんじゃ……」  ニコニコ玄関にやってきて、呆然としている俺のカバンとコンビニで買ってきたビールを新妻のように受け取った職場の後輩で恋人の二葉。新妻……と言うには少々……いやかなりでかすぎるけど。 「玲先輩に会いたくて、早く帰りたくてスケジュール前倒しにして頑張ってきました」  ほめて、ほめてと大型犬みたいな男の満面の笑みが目の前にあるのがまだちょっと信じられない。  黙っているとクールに見える顔つきなのに、いつでもニコニコ笑っているから二葉の回りにはいっつもいっぱい人がいる。明るいだけじゃない。五十過ぎてる部長だって二葉には一目置いているくらい仕事も出来る。誰に対しても優しくて、明るくて。その上仕事も出来るなんてズルすぎる。 「いい匂い……」  長期出張から帰って疲れているだろうに、夕飯の用意をしてくれたんだろうか。 クリームシチューかな。温かで癒される香りが朝までは冷たかったこの家に溢れていた。  ふらふらと手を洗いに行くと、週末に片付けるつもりで溢れ返っていたランドリーバスケットの中身が、綺麗に無くなっていた。それを見たとき、胸の奥から説明できない熱いものが込み上げてきて、ばかみたいに溢れ出した。 「れいせんぱーい、ご飯とお風呂どっち先にします……って…… ええ?  どうしたの?」  洗面所で滂沱の涙を流す俺を見て、二葉は綺麗な形の瞳を大きく見開いた。 「な……っ何でもな……」  何でもないと言いながらも、しゃくり上げるほど泣く俺の手を取った。 「冷た……先輩、寒かった? 体冷えてる」  俺の手に触れて二葉は驚いたみたいだった。子供の手を引くように二葉は俺の手を引いてリビングのソファに座らせた。  俺の手を離さないまま隣に座ると、大きな掌が俺の頬に当てられて、親指が涙を拭っていく。大きな手が温かい。  冷え冷えとした氷のような俺の表面に、二葉の手が触れると、それだけで氷がゆるゆると溶けていくみたいに温かくて気持ちいい。 「泣いてんのに何でも無いってことはないですよね。玲先輩泣くなんて珍しいもん。つーか、俺ベッドの中以外で先輩が泣くの見たことないもん。山田先輩にいじめられました?」  涙で滲む視界の向こうに心配そうな瞳が見える。  二葉の問いに頭を振って  「違……っ……いやみは言われたけど……それは俺がバカなミスしたからで……っ」 答えると、年下の恋人は首を傾げた。 「玲先輩ミスするなんて珍しいね。何したの?」 「この前納品したやつ……間違えてデータ入力してたみたいで、取引先から営業にクレーム入っちゃって……っ」 ひくっと喉が震える。 「そんなミス……っ新卒じゃあるまいし……っ」  あー、言っちゃった。 恥ずかしい。ほんと初歩中の初歩のミスだった。  しかも、そんなんで子供みたいに泣くなんて。きっと二葉だって呆れてる。 二葉ほど仕事が出来るわけじゃないけど、俺は二葉の先輩だし、それなりにカッコよくいたかったのに。  でももう止まんない。  ばかみたいにひくひく泣く俺をひょいっと二葉は抱き上げて、自分の膝の上で向き合うように座らせた。 「先輩普段全然ミスしないからねー、でも新卒じゃなくったってたまにはミスしちゃうこともあるでしょ? それに気付かず納品オッケー出した先輩んとこの部長も悪い。そもそもうちのチェック体制そのもの見直さなきゃいけませんよね」 よしよし、と頭を大きな手が優しく撫でるから、余計に涙が出る。 「部長気付けない人だってわかってるから、俺がちゃんとしないといけなかったのに……っ」 「いつもちゃんとしてるじゃないですか。でも人間だもん。誰でもミスはするって。だから上層部にチェック体制直すようにそろそろ本気で言わないとなぁ。取引先の損失は?」 「取引先の担当の人が機転利かせてくれて……っすぐにシステムから手動に切り替えてお客様のオーダー受けたみたいだったから大丈夫だった……閑散期でもあったからお客様少ない日でよかった……」 ぼそぼそと呟くと、そーか、そーかと二葉は言って。  「取引先のお客様に損失出て無かったなら大丈夫ですよ。まぁ損失出たとしても保険効きますし」 「でも取引先から信頼無くしたよ、きっと」 と呟くように言うと 「玲先輩の普段の誠実な仕事ぶり見ていたら、そのくらいで信頼無くしたりしません。俺が断言します」  恋人であると同時に、信頼できる職場の後輩からの優しい言葉にぐっと喉が詰まる。 慰めてくれる手が温かくて、触れたところからじわじわ熱が伝わって、 実際にはどこにあるのか分からない心の中までぽわぽわと温かくなってくる。すると同時にいろんなものがぶわりと溢れてきた。 「…… っそれに……」 「それに?」  俺の言葉にこてん、と目の前の男は首をまた傾げた。うう……カッコいいくせにそういうとこ可愛い……ずるい…… 「パン、うまく焼けなかったし、今日寒いし……っ」  再びボタボタと涙が出てくる。 「は……?」  突然話がパンと天気に移って、聡明な男の目がまん丸になった。 「コ……っコーヒーも朝人がいっぱいで買えなくて……っ寒いし……っお前が誘いに来ないから、昼ごはんも食べるタイミングわかんなくなっちゃって……っ足痛いしっ……寒いしっ」 「あ……足?あ、 そういえばコンビニの袋に絆創膏入ってましたね? 大丈夫ですか?」  支離滅裂なことを言いながら、子供みたいに泣く俺に二葉が焦っているのが見えたけど、止まんない。俺の持つ年上の矜持はきっと今日の秋風に拐われてどっか行った。 「お前がいっつも充電しといてくれるから……っイヤホンもスマホも充電すんのも忘れちゃうし……っ音楽聞けないのに、電車遅れるし……寒いし足痛いしっ……それに……寒いし二葉いなくて寂しかった……っ」  あー、止まんなくて言っちゃった。言ってしまった。  俺の言葉に二葉の目はもっと大きく見開かれて、それから喉のラインが艶かしく、ごくり、と動いた。 「寂しかったの……?玲さん……俺がいなくて? 電話じゃ全然平気そうだったじゃん……」  いつも陽気でけらけら笑ってる二葉の声が低く掠れていた。そうだよ。大きな仕事任されて頑張ってる年下の恋人に帰ってきて、なんて絶対言うもんかってぐっと飲み込んで電話してたし。カッコいい年上の恋人でいたいってプライドもあった。  でも。恋人を目の前にしたらそんなプライドはぐずぐずとカタチを失うように溶けていった。 「寂しかった……めっちゃ寂しかった……! 会いたかっ……んんっ」  箍が外れたように言うと、ぐっときつく抱き締められて、がぶりとオオカミに食べられるみたいに唇が重なった。  
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