第6章 ムラサキ(5)

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「ムラサキはムラサキ科に含まれるグループなのですが、この科に属する植物の特徴として花の中央の部分がやや色が変化したり、膨らんだりするということがあります」  その言葉を受けて私は緑川からスマホを受け取り、拡大してみた。なるほど、確かに花の中央の部分が少し膨らんでいるというか黄色がかかっている。 「昔、野原一面にこの植物が群れて咲いていたことから『群ら咲(ムラサキ)』という名前が付けられたそうです。ま、今ではめったに見ることはできなくなりましたけどね。環境省で絶滅危惧ⅠB類に指定されています。  葉は互生で濃い緑色です。粗い毛が生えており、表面には小さなぶつぶつがあります。花期は初夏から夏にかけてなのでもう終わっていますかね。  これは何年か前に撮った写真です。知り合いに教えてもらいましてね。見られてよかったです。本当に貴重なんですよ、これ。生育地を知っていてもまず誰にも言わないでしょう。盗掘の恐れがありますからね。信用できる人にだけ話すものです。それくらい珍しいものなんですよ」  そう言って彼は自慢するように笑った。…笑顔かわいい。 「ムラサキの根は『紫根(しこん)』とも呼ばれ、それから採れる紫の染料は大変な手間暇をかけるため高級品とされました。昔の人は威厳や地位を示すために用いたそうですよ?冠位十二階知っていますか?」 「聖徳太子が作ったやつですよね?」 「はい。それの冠位の最高位の色は紫色なんですよ。かの紫式部もその高貴さにあやかりたいとして自分の名前に『紫』とつけたようです。また植物ではありませんが西洋では巻貝の仲間から紫色の染料を採っていたようですが、やはりこれも大変な労力がかかったらしく、ローマ皇帝や高貴な位の方が好んで紫色の服を着たそうです。日本も西洋も考えることは変わりませんね」  ふふっと彼は笑った。へーと思いながら隣を見ると紫がすごくびっくりした顔をしていた。そういえば紫は緑川の『花講義』を聞くのは初めてだったか。そりゃいきなりここまで詳しい話始められたら驚くよね。  その詳しい話はまだまだ続く。 「万葉集にもたびたび登場します。万葉集に登場する花の中では秋の七草と並んで一番有名かもしれませんね。代表的な歌が二つ。額田王(ぬかたのおおきみ)が大海人皇子(おおあまのおうじ)にあてた歌です。  茜さす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖ふる  それに対する返歌が  紫草(ムラサキ)の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも というものです。私も歌はよく知らないのでわかりませんが、額田王という女性は元々大海人皇子と結婚していたのですが、後に大海人皇子の兄である天智天皇と結婚します。そんな背景で読まれた歌で、確か……『茜さす~』の歌は『天智天皇がムラサキを管理している領地で私にそんなに手を振って見張りがみていないか心配です』という意味です。当時でもムラサキは貴重になっていたのか、囲いを作り、見張りを立てていたようです。それで行事の一環としてその地で薬草採取をしているときに読まれた歌のようです。  それに対する返歌は『ムラサキのように美しい君よ。君を憎く思うのならば、人妻なのにどうしてこんなに想うものでしょうか』といった意味だったと思います。まぁ恋心なんて私にはわかりませんからよさがわからないんですけどね」    そう言って彼は苦笑した。ふーん…。 「そのほかにも古今和歌集で紀貫之の歌にこんなのがあります。  紫の ひともと故に 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る  意味は『ムラサキが咲いているからこの武蔵野の草はすべていとおしい』というような意味ですね。ちなみに現代の武蔵野の校歌にも『紫匂う武蔵野の~』という歌があるそうです。最近までムラサキがそこら辺に咲いていたということですかね?近代ではすでにムラサキは珍しかったはずですし、よくわからない歌ですね」  そう言って彼はコーヒーを飲んでふぅ、と一息吐いた。どうやら話は終わったようだ。今回は歴史の内容が多かった気がする。別に歴史は嫌いじゃないので面白かったが。
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