結婚記念日

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 家電量販店に一時間以上いたマサヒデは満足した面持ちで店から出できた。手には店の紙袋を下げている。妻のハルカへの結婚記念日のプレゼントだ。 「もう少し風量の強いドライヤーがあるといいんだけど…」  ある日の夜、入浴後の彼女がそうつぶやいたことをマサヒデは聞き逃さなかった。ネットで散々下調べをしておいて、準備万端でやって来たのだった。無事に欲しかったドライヤーを手に入れたマサヒデは、包装紙に包まれた箱を見ながら、 「これなら大丈夫。今度こそは…」  そう自分に言い聞かせて休日の賑やかな街を駅へと歩き出した。  この年の結婚記念日は五回目にあたる一つの節目の日だった。だからマサヒデは今回は何としても彼女に喜んでほしかった。  マサヒデはハルカに一年に二度プレゼントを贈る。彼女の誕生日と結婚記念日だ。しかしマサヒデには不可解なことがあった。  ハルカは誕生日のプレゼントは喜んでくれるのに、結婚記念日のプレゼントは喜んでくれないのだ。  マサヒデは常に彼女が欲しがっているものをプレゼントしている。ハルカの言動に対して常にアンテナを立てていて、それらしいものがあったらメモを取って置くぐらいの徹底ぶりだ。  その甲斐あって誕生日の時は決まってとても喜んでくれる。しかし結婚記念日の時は、嫌な顔こそしないが喜んでもくれないのである。  そして送ったプレゼントは使わずに箱に入ったままクローゼットに閉まってしまう。でも時々箱から出して眺めたりはしているので、大切にしてくれている様ではあるので、マサヒデはなおさら複雑な気持ちだった。 「結婚記念日の日、夕飯どうしようか?」  その日の夜、マサヒデはハルカの作った鶏のから揚げを頬張りながらハルカに尋ねた。プレゼントは彼女に見つからないように自分の部屋に置いてある。ハルカはこの日の昼は久し振りに大学時代の友人と会う約束があり、外出していた。 「うーん。この辺のレストランはほぼ行き尽くしたから…。でも遠出するのも帰りが面倒だし」 「でも今年は土曜日になるし、次の日休みだから、少し遠いところでもいいだろ」 「めんどくさいなあ」 「じゃあ、家にするか?」 「それはもっと嫌」 「それなら店はお前が決めてくれ」 「えーっ、いやだ」 「俺が決めると必ず文句言うだろ」 「だってセンスないんだもん」 「任せたぞ」 「うーん」  そういうとハルカは唐揚げの横に添えたサラダを食べ始めた。シャリシャリという咀嚼音が部屋に響く。結局は近所の行きつけの店に決まった。 「誕生日に買ってくれたヒール、今日履いて行ったら友達にかわいいって褒めてもらった」  最後のレタスを口に入れた後、ハルカは嬉しそうに言った。  マサヒデは少し顔をしかめて、 「ずっと欲しいって言ってたもんな。まあ、それはよかった」 「感謝してるんだよ」  マサヒデはハルカをちらりと見て、 「結婚記念日のプレゼントも、それぐらい喜んでくれるといいんだがなあ」 「うれしいよ」 「でも全然使わないじゃん」 「……」  ハルカは黙ってしまった。おかずは食べずに黙々と白米を食べる。その表情には申し訳なさと寂しさが混ざっていた。その姿を見て、マサヒデも何も言えなくなってしまった。  ハルカの作る料理は美味しい。外では仕事をきっちりこなして、家事はほとんど一人で行い、愚痴ひとつ言わない。マサヒデは誰よりも彼女のことを想っている。  初めての結婚記念日のプレゼントは喜んでくれた。しかし二度目は嬉しそうにはしてくれたが、明らかに違和感があった。そして三度目から笑顔は見えなくなってしまった。 「今年もかな…」  いつも明るいハルカの暗い表情は見たくなかった。不安な気持ちを抱えながらマサヒデは五度目の結婚記念日を迎えた。  当日。外で二人で夕食を終えた後に家に帰って来て、改まってマサヒデはハルカにプレゼントを渡した。 「ありがとう」  そう言ってプレゼントを受け取り、ハルカは目線を下げた。そこに笑顔はなかった。プレゼントも持ったままで開けようともしない。 「開けてよ」 「うん…」 「ハルカが喜びそうなもの買って来たから」 「そうだよね。いつもそうだもんね。本当にありがとう」  そう言うが、彼女の手は動かない。マサヒデは笑って、 「結婚記念日はプレゼント、やめようか?」  ハルカはプレゼントを胸に抱えて下を向いてしまった。少しして、マサヒデが口を開いた。 「リュウイチさんのことか?」  その言葉を聞いて、ハルカは顔を上げてマサヒデを見た。 「それしかないよな。でも俺はプレゼントを喜ばないハルカを見たら、リュウイチさんはきっと悲しむと思うぞ」  ハルカはじっとマサヒデを見つめている。 「…明日は丁度リュウイチさんの月命日だし、二人でお墓参りに行こうか」  ハルカは黙ってうなずいた。そしてプレゼントは開けないまま、大事そうに抱えて自分の部屋へ持って行った。  翌日は快晴だった。初夏の乾いた風が肌に心地良い。二人は電車を乗り継いで、ある寺の墓地へやって来た。マサヒデが水の入った手桶と柄杓を持ち、ハルカは花束を持って目的の墓へと向かうと、そこには一人の女性がいた。 「ショウコさん」  マサヒデが言うと、女性は振り向いた。 「あら、二人とも。来てくれたのね」  そう言って、ショウコは優しく笑った。 「ご無沙汰をしております」 「何言ってるの、三か月前に会ったでしょ。二人とも仕事で忙しいんだから、無理してお参りに来なくていいのよ」 「そんなことないです。すみません、なかなか来れなくて」  ハルカは頭を下げた。ショウコは快活に笑っている。 「そういえば、昨日結婚記念日よね。マサヒデさん、ちゃんとお祝いした?」 「え、ええ。一応」 「そう、よかった」  そう言った後、ショウコはハルカをちらりと見た。 「ハルカさん、そんな暗い顔しないの。主人はハルカさんのそんな顔、見たいと思ってないわよ」  そう言うと、ショウコは優しく微笑んだ。  リュウイチはマサヒデの勤める会社のかつての上司だ。生前のリュウイチがある時、取引先の会社に顔を出した際に対応したのがハルカだった。  リュウイチはハルカを一目見て直感したらしく、用事を終えた後に半ば無理やりに食事に誘った。 「紹介したい部下がいる」  という事だった。余りにも熱心に誘うのでハルカは不安を抱えつつも了承した。それがマサヒデとハルカの出会いだった。二人はその食事会で意気投合し、現在に至るのだった。  二人にとってリュウイチは恩人だった。その感謝の意味も込めて、入籍の日は二人の出会いとなった食事会の日にした。リュウイチは当時その事をとても喜んでくれた。  しかし、それから一年もしない内にリュウイチは病気で息を引き取った。病気が分かり入院してすぐの事だった。余りにも突然の事だったので葬儀の時は二人は涙も流れず、ただただ呆然とするしかなかった。  マサヒデとハルカがお墓に手を合わせた後、ショウコが口を開いた。 「ねえ、ふたりとも」 「はい」  二人は揃って返事をした。 「あの人が亡くなる少し前に言っていたんだけど…」  ショウコは一度言葉を切って、 「二人には結婚記念日には毎年お祝いをして欲しい、って。あの二人の事だから、俺が死んだらきっと色々気にしてしまうと思うけど、俺は明るくお祝いをして欲しい、その方が嬉しい、って…」  マサヒデが横を見ると、ハルカは涙を流している。 「私もそう思うの。だからハルカさん、気にしないでいいのよ」  そう言ってショウコは両手で包み込むようにハルカの右手を握った。そしてその持った手を上下に振る。ハルカは小さく何度も何度もうなずいた。  家に帰るとハルカはすぐに自分の部屋から昨日マサヒデからもらったプレゼントを持ってきて、包装紙をビリビリ破き始めた。 「おいおい、もう少し丁寧に開けてくれよ」 「いいじゃんべつに。もう私のものなんだから」 「そりゃ、そうだけど」  ハルカの周りには乱雑に破かれた包装紙が散らばった。 「あーっ、ドライヤーじゃん!やった!新しいの欲しかったんだよねー」  そう言うと、ハルカは早速ドライヤーのコンセントにプラグを差して、電源を入れた。 「うわー、すごい風!」  ハルカは嬉しそうに自分の髪に風を当てる。ハルカの長い髪はあらゆる方向へと舞い上がった。  まだ少し無理してはしゃぐハルカを、マサヒデは愛おしく眺め続けた。 完
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