1章

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 暴言なんて慣れた。唾を吐きかけられ殴られることも間々ある。  患者に逆らうことなど許されない。。  言い訳や弁明などしようものならリハビリ拒否され、病院として収入減となってしまう。  元々、家族の強い意向で無理矢理リハビリ病棟に転科された人が殆どの特殊な場所だ。  一部の意欲的な例外患者を除いて、何かとリハビリを拒否する理由をつけて家族に言い訳する免罪符を得たがる。  これは当院がそういった通常の病院では嫌がられてしまう――行き場のない患者でも積極的に受け入れている事に関係している。  勿論、術後の経過が思わしくない困難事例も多く受け入れている。系列急性期病院の病床回転率と自分の回復期リハビリテーション病棟の病床稼働率を上げたいのかもしれない。  それ故に、当院に入院している患者の退院は難航することが多い。  だが、上は『それを何とかするのが現場の役目』、『出来ないのは努力が足りないから』と言う。  俺は自分の持つリハビリテーションの『理想』と『現実』。  過去に抱いていた希望と幻想の隔たりを――主任になった今でも受容できなかった。  日増しに強まっていく疑問。 「人の『生きる意味』とは、『幸福』とは一体なんなんだろう……」  かつての自分は、情熱と浪漫を追い求めて活き活きしていた。  通信簿にも意欲的、正義感が強い、責任感が強い。  この三つは絶対に書かれていた。  そして割と社交的で、今では考えられないがよく喋る方だったしふざける方だった。  他の生徒がスッと受け入れる教諭からの言葉や疑問に思わない事にも、常に何故だろうと疑問を抱いていた。  『未知』が苦手で、『既知』に変えたかった。同時に未知の可能性を解き明かすことに胸をときめかせていた。  『オカルト』じみた超能力者に予言者。古代都市や未確認生物。『スピリチュアル』な気、オーラ、神霊。神仏を祀る寺社仏閣やパワースポットを巡っては、目に見えない人智を超越した存在を追い求め解き明かそうと文献を漁った。  自分なりの仮説を立て、現地に赴き探求する事にとてつもなく浪漫を感じて胸を躍らせていた。  しかし研究者は安定しないし、雇用も厳しい。  あらゆる面で迷った結果、夜勤もなく国公立なら学費もそれなりで済む四年生大学。  それでいて国家資格を取得でき、基本的身体機能の向上を通して『自由』を回復する理学療法士という仕事にやりがいを感じて選択したが、今でも気質は理系科学者のそれではない。  数多の研究によるエビデンスに基づいた施術を求められ、逆にエビデンスに基づかない施術をすれば大目玉を食らう。今でも忘れない上司とのやり取りだ。 『何かあったときに、患者や家族にその施術をした根拠が科学的に正しかったと説明して責任が取れるのか。お前にその権限があるのか』 『それは……確かに、できませんが』  人の命に対する責任という言葉。  そして同時に、エビデンスに基づき有効性が認められなかった症例に対しては別の個別アプローチや目に見えない何か――現代では奇跡と呼ばれるものを頼るしかないのではないかと激しい鬱憤を抱えている。  何しろ現代の医学では最初から画像診断や現病歴、既往歴などを見れば、ある程度の機能予後予測がつき、その通りに行くことこそが正しいと言われている。  先ほど亡くなった方も最初から人間らしく、安らかな姿で最後を迎えられる予後予測ではなかった。それは解っているつもりだった。  それでも、何とか出来ないかと自分の理学療法技能を磨いた。  エビデンスが無いなら作りあげれば良いと上司や教授達の前で研究計画を説明し説得した。  激しい罵詈雑言を受け修正しながら深夜まで、あるいは徹夜で研究に勤しみ、学会発表や論文掲載で実績を作ってきた。論文として学術誌に掲載されれば、信憑性の高い治療として認めて貰える。積み上げた実績を盾に発言権を得るという私欲もあった。  休日には毎回、少ない固定給与の中から何万円も練りだして日本中を巡り勉強会に参加し、技能を磨いてきた。  そうして他のセラピストより秀でた技能で患者から感謝されたり、笑顔を見せてもらえると、一瞬ではあるが自己陶酔に陥る。努力が報われた気分になる。  そんな俺の熱心な姿勢に感銘を受けた一部の情熱溢れる若手――雪が代表的だが、藤堂塾なる勉強会グループと、他の現状維持派が対立しているのが、今の俺が所属している病院のリハビリテーション科だ。  ドラマや創作のように権力者に逆らい認め合える熱い展開など、現実ではあり得ない。 「なんて、現在の環境に不平不満ばかり言ってても仕方ないよな。――『自分の考え方を変えなさい。そうすれば世界が変わる』って言ったのは、米国の啓発作家、ノーマン・ヴィンセント・ピールだったか。……俺も、考え方を変えれば世界を変えられるのかな。……変えたいな」  時刻は既に深夜。一通りの作業を終え、研究を一緒に行ってくれる教授へ論文や資料を送付する。 「パソコンの電源を落とすと、俺もふっと終わった気持ちになるな……。これが開放感か」  一仕事終えたと背を伸ばして、帰り支度をする。  華々しく汗を流しながらリハビリを提供しているように見えて、実際にはこんな地味な仕事ばかりである。  この仕事を辞めるという選択肢もあるだろう。  だが、転職の相談をした時に両親は強く反対し涙を流していた。  結局の所、どんなに鬱屈とした思いがあろうと、俺が今ある環境に適応するしかないのだ。  それが社会、組織というものである。  そんな毎日に、俺は欠かさず神社に参拝する。 「今日も来られた……よかった」  仕事終わりの神社は既に丑の刻になっていることもある。  神社では一般的に祭神に願いを述べると勘違いされがちだが、基本的には見守ってくださる神仏への礼賛と同時に日々を無事に過ごせている事への御礼を述べる場である。 「この神社の御祭神は何だろう……。そんな事も調べずに毎日御礼を言いに来てるのは、変なんだろうな。でも、どなたであってもいいし、変わらないか。日々を暮らせることに、生きる希望を頂けることに感謝するだけだよな」  参拝して神々に真っ直ぐ感謝しているときだけ、飾らない素の自分で居られた。  幼い頃、浪漫を追い求めていた純朴な自分に戻れた。  それが――たまらなく気持ちよく、明日も頑張ろうという気持ちにさせてもらえた。  実際に目で見た訳ではないから、神仏の実在有無など解らない。  ジャンヌ・ダルクの例からも、敬虔であってもピンチに助けてもらえるかなど分からない。  それでも、僅かな勇気と元気を頂けること。それが全てだった。  そもそも、神社に参拝することを『お宮参り』という。これは女性の――もっと言えば母の胎内に回帰し再び生まれ出ずることを意味する。  鳥居は股を、参道は出産時の産道。社殿は子宮に当たると言われている。  つまり参拝――お宮参りとは、産道を逆行しお宮でお参りをした後、新たに違う自分として産道を通り、鳥居から再び外界へ生まれ出ずるのだ。 「今日も一日、ありがとうございました。明日からもどうぞよろしく御願いします」  手を合わせてお宮に祈り、また鳥居を出て行く。この行為が神聖でなくてなんと言えよう。  個人的にリハビリテーションの意味とも重なっているように思う。  もう一度、『復活』して生まれ変わる。どことなく、『再び相応しいものにする』というリハビリテーションとの類似性を見出してしまう。 「やっぱ、神社には特別な存在がいらっしゃる気がする。目には見えない力や存在っていうか。。……なんて、またスピリチュアル好きな部分が出てきてるな。現実から目を背けたがるのは悪い癖だ」  そうして僅かに今までの自分とは変わって外界に生まれ出ていることを、俺は願うのだ――。  周辺に気を遣い物音が出ないよう気をつけて賃貸アパートに帰り、落ち着いた頃にスマートフォンを見る。母と雪からメッセージが届いていた。  母からは『たまには連絡して』と一言。雪からは『今日はお疲れ様。ちょっとご飯作り過ぎちゃったんだけど、届けに行って言い? 何時でもいいから!』。そのメッセージと共に可愛いスタンプが送られていた。 「ご飯か……。腹、減ったなぁ」  時間も時間だし、さすがに見なかった事にしようかとも思ったが、腹の虫は限界だった。  思えば、まともな食事を取ったのはいつのことだったか。食堂に行ってもPHSですぐに呼び出される為に暫く足が遠のいている。  売店の軽食やお菓子を軽くつまみ、夜はコンビニエンスストアで買う気力と食欲が残っているときに立ち寄って食事摂取する程度だった。  悪いとは思いつつも、雪に『まだ起きている?』とメッセージを飛ばす。  すると、メッセージはすぐに既読になった。やり取りの結果、雪に危険な夜道を歩かせる訳にはいかないから、俺が雪のアパートまで行くことで決着がついた。
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