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「爽太先生って、もうピーマンのこと好きですよね。最早愛してますよね」 「えっ」  伏せられていた瞼が持ち上がり、視線が僕を捉える。まっすぐな瞳は、内に潜む、幼い僕を見ているかのようだった。 「爽太先生が植物に向ける顔は、嫌いなものを求める顔ではないです」  新しい見解を示され、ピーマンと向き合った日々が短縮されたビデオのように流れ出す。  交雑した種が、芽吹く度に喜んだ。長い時間をかけて愛情を注ぎ、同じ時間を寄り添った。緑の実を期待し、桃色の実が付いたときは落ち込んだ。それでも何度も挑み、完成を願った。ピーマンに出会いたくて、必死になった。  確かに、多くの敗北を味わった。多忙に心が折れかけることもあった。しかし、苦痛ではなかった。約束が根底にあるのも真実だが、常に頭を陣取っていた訳ではない。  大人になった今ですら、あの苦味を愛せないかもしれない。しかし、既に僕は、ピーマンの存在に恋していたようだ。 「…………そっか、そうかもしれないね」  今度こそ終了したのか、美佳が立ち上がる。道を縫い、出入口へ跳ねる背中は少し嬉しそうに見えた。 「ねぇ、約束果たしたってことでいいと思う?」 「はい。きっとお母さまも泣いてお喜びですよ」  尻目の一つもなかったが、声にも小さな安らぎが見えた。  母を思い描く。泣いて喜ぶ姿ではなく、震えながら爆笑する姿が浮上した。けれどきっと、一頻り笑った後は全力で頭を撫で回してくれるのだろう。  現実としては得られなかったが、僕はもう立派な大人だ。想像の中、記録を上回る笑顔が見られただけで充分だった。 「まぁ、それでもピーマン作りは止めないんだけどね!」  仕事に戻るため、僕も立ち上がる。一歩進もうとして、戻ってきた美佳から青色のファイルを差し出された。留め具つきの頑丈な作りで中身は見えない。 「これ、帰り際に父が持たせてくれました。私もまだ見ていませんが、父のコレクションだそうです」  研究に役立てばとの言伝てと共に、ファイルを受けとる。丁寧に留め具を外し、表紙を開いた。 「……こ、これは……!」  十六等分されたポケットに、様々な種が入っている。その中に、一際目立つあの種があった。
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