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『次はね、プーマンによく似てるこのお野菜なんだけど、どんな味がすると思う?』
『えー、これプーマンじゃないの? うーん、酸っぱいとか?』
ラジオが楽しげに、幼子と女性の会話を披露する。今は亡き野菜の写真から、町行く人に味を当ててもらう企画のようだ。
当然ながら、今の子どもたちは死んだ野菜たちを知らない。彼らにとってのピーマンと言えば、甘くて美味しいプーマンでしかないのだ。
『お母さまは覚えておられます?』
『うーん、小さかったし忘れちゃいましたね』
――子どもだけではない。今や地球の何割かは、ピーマンの存在を消してしまったのだろう。いや、完全な記憶を持つ者など、既に存在しないのかもしれない。この僕だって。
空地となった皿が僕を見ている。目を合わせていると、ふと小さく浅い欠けが目に留まった。知らぬ間に破損させていたらしい。使用に伴う当然の現象に、もの寂しさが宿った。
美佳が出掛けて今日で三日になる。二日前、“両親が逃がしてくれません”と連絡がきて以来、音信不通だ。久々に会う娘に積もりすぎた話でもあるのだろう。淡々と頷き続ける姿を描き、微かに口角を持ち上げた。
里帰りを楽しんでくれていると思うと、素直に嬉しくもなる。しかし、裏腹な空虚感が感傷の促進もしてきた。いや、これは先程のラジオ番組にも責任があるだろう。
私の味覚は確かなのだろうか――そんな疑問に出会いさえしなければ、ここまで物思いに耽ることもなかったのだから。
人より多くピーマンを味わっていた自信はあるが、三十年は昔の話だ。印象だけで記憶し、味を書き換えていてもおかしくはない。もしかしてピーマンは既に完成していて、それを見逃していたら――考えはじめると恐ろしくなった。
これでは一生、ループを続けたまま約束なんて果たせないのではないか、と。
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