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つい数秒前まで明るい日の光が差していたのに、薄暗い霧の世界に来てしまったみたいだ。
白玉荘の庭に漂っていた金木犀の芳しい香りもどこかへ行ってしまい、なんとなくカビ臭い。
「ここは白玉荘? じゃないよね?」
キョロキョロしながら隣に立つ四郎くんに尋ねると、「違うね。それどころか東京ですらないみたいだ」と答えた彼の横顔にはさっきまでの美少年っぽいあどけなさはどこにもなかった。
眉間に寄った縦皺にも細められた目の鋭さにも、"悪霊を地獄に追い払う"と言われるだけの凄みが感じられる。
「東京じゃない? じゃあ、ここはどこ?」
スマホは圏外で役に立たない。
目の前にいたはずの男の霊は霧と共に消えてしまい、何のためにどこに連れてこられたのかもわからない。
そう。たぶんさっきの男の霊が、私たちに故郷を見せたいと願ったせいで彼の故郷に移動してしまったのだろう。
彼自身の姿が見えないのは、彼が地縛霊で白玉荘に引き戻されたからかもしれない。
「ほら、見て。電柱に『見返り川下』って書いてあるだろ? あそこに架かってる白い橋は結構大きいけど、見返り川なんて聞いたことない。だから、東京じゃないのは確かだよ」
四郎くんは東京生まれの東京育ちだから、彼がそう言うなら間違いないだろう。
神奈川県出身の私にも聞き覚えのない地名だ。
低い山の木々は青々としていて、十月だというのに紅葉の兆しも見えない。
「ねえ、なんか変じゃない?」
さっきから感じている違和感の正体がよくわからなくて、怖くなった私は四郎くんにすり寄った。
私は小さい頃から霊視能力があるから、ちょっとやそっとのことでは怖がったりしない。
映画やドラマでよく大勢のゾンビが手を伸ばして迫ってくるなんて展開があるけど、私にとってはそんなの日常茶飯事なのだ。
ただ他の人たちには見えていなくて、私には見えているというだけで。
でも今は、ゾンビたちはいないのに鳥肌が立つようなゾクゾクした感じがある。
「変って、白玉荘からどこか遠くに飛ばされたんだから変に決まってるだろ?」
「そうなんだけど、そういうことじゃなく!」
私を背後に庇うように背中を見せた四郎くんは、辺りを警戒して左右に目を光らせているけど、私の言っている意味がわからないらしい。
こんなとき薫ちゃんだったら、すぐに話が通じるのに。
ついそんなない物ねだりの考えが頭に浮かんだ私は、やっと違和感の正体に気がついた。
「四郎くん。もしかして私たち、霊がいるのに視えてないんじゃない?」
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