視えない場所

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「観光名所って言うほどの場所はないです」  店の女性は四郎くんの麗しい笑顔にも表情一つ変えずに素っ気なく返すと、忙しそうに奥の席の客の注文を聞きに行ってしまった。  四郎くんは今度は隣のテーブルに座るカップルに同じ質問を投げかけようと思ったみたいだけど、別れ話が拗れていると悟ると訊くのを諦めたようにため息を吐き出した。 「残念! いい手だと思ったのにね。とりあえず伸びないうちにお蕎麦、食べようか。いただきます」  私がパキンと割り箸を割ったのに、四郎くんはなぜか食べようともせずにじっと私を見ている。  毒見をさせようというわけ? ま、きっと大丈夫でしょ。  こんなわけのわからない状況なのに私がお蕎麦を口に運んだのは、空腹で我慢できなかったからだ。  まっずい!  お先にと呟いてお蕎麦を一口啜った私は、思わず心の中で叫んだ。  こんなに不味いお蕎麦を食べたのは生まれて初めて。つゆの美味しさも喉越しの良さもまったくない。  小さな鮫皮のおろし金ですりおろしたばかりの本わさびでさえ、ツンと鼻に抜ける辛さも香りもないのだ。 「そんな顔するってことは、この蕎麦、全然味がしないんじゃない?」 「そう! そうなの! まるで砂を噛んでいるような無味無臭なのよ。でも、どうしてわかったの?」 「どうしてかな? たぶんそうじゃないかなって予感がしてた」 「その予感、私が食べる前に言ってほしかったよ」  そういえば、昔見た映画にこんなシーンがあったような気がする。あれは時空の歪みに入り込んだせいだったっけ?  ざるそばをほとんど手つかずのまま残したのに、お店の女性は気にする様子も見せずに「ありがとうございました」と棒読みのような平坦な声で私たちを見送った。 「金さえもらえればオッケーってことなのか、それとも余所者の反応はみんな同じだからか」  お財布をポケットに突っ込みながら呟いた四郎くんに、「ご馳走さまでした。全然ご馳走じゃなかったけど、あんなのにお金出してもらって悪かったね」と頭を下げた。  本当だったら割り勘にするところだけど、何しろ私はお財布を持っていない。  本振り袖の袖に入れておくわけにもいかなかったし、今時はスマホさえあれば大抵の支払いは出来てしまうのにスマホが使えないのだ。  そもそもあのお店は現金オンリーだったけど。 「それにしても他の客たちは旨そうに食ってたな」 「それそれ! 私も驚いたよ」 「だいたいさ、振り袖姿で蕎麦屋に来てる優ちゃんを見ても、みんな怪訝な顔してなかったよな」 「よく考えたら、振り袖にスーツの私たちが"きままなぶらり旅"って無理があったね」  二人でクスクス笑いながら、行く当てもなく歩き出す。  何となくこの村の人たちのことがわかってきたような気がした。
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