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学校の帰り道、茹だるような暑い日差しのなかを足取り重く私達は歩いていた。
「暑い…、暑い…、死ぬ…」
さっき塗った日焼け止めは、この流れる汗にすべて落ちてしまったに違いない。きっと駅に着くまでに、私は太陽に黒こげにされるだろう。項垂れるように下を向けば、隣からも恨めしげな声が聞こえる。
「葵、暑いって何度も言うなよ。余計暑くなるだろ…」
隣に立つ健太も同じく、黒く焼けた額に汗を浮かばせながら、こちらを見ていた。
「暑いんだからしょうがないじゃん」
「だから、言うなって」
私の言葉にまた眉をひそめた健太を、私は、いらっとして睨む。暑いものを暑いと言って何が悪いのだ。私にしたら、何も言わずに歩く方がずっと辛いのだ。
だから私は、キッと健太をもう一度睨むと、空に向かってやけくそのように叫んだ。
「あぁ、寒い、凍る。私に日差しを!」
まるで舞台女優のように私が手を上に掲げれば、健太は、私に合わせて空を見上げ呟いた。
「なんだか余計に日差しが強くなった気が…」
「健太、とうとうこの暑い日差しでバカになった?いや、もともとか」
健太の言葉に冷めた目を向ければ、今度は健太が私を軽く睨んできた。
「はぁ?お前な。俺がせっかく…」
「怒るともっと暑くなるよ」
私が健太の言葉に被せるように言えば、健太の顔がますますイライラで赤くなる。
「あー、もう無理だ!」
健太の言葉に、私達は、涼を求めて逃げるようにコンビニに駆け込んだ。
「あぁ、涼しい…」
地獄から天国へとやってきた私達は、全身で涼を受け止めた。
「もう、あの地獄へ向かう勇気はないな」
「確かに…、ずっとここにいたい」
コンビニの涼を知ってしまった私達は、もう無防備であの灼熱地獄に踏み出すなど出来ない。そう無防備では、…。
「よし、あれやるか」
健太が、ニヤニヤ笑いながら、こっちを見た。そして、健太は、あの灼熱地獄をクリアするための必須アイテムを指差し、それを手にする為に、戦いを私に挑んできた。
「いいの?今まで私の勝率8割は越えてるとおもうけど」
ほぼ勝ちが見えているこの戦いを拒む理由なんて、もちろん私にはない。
「今日は、俺、いける気がするんだよね」
自信満々にニヤリと笑う健太に私は吹き出しそうになった。
「凄い自信じゃん。でも、そういうのフラグっていわない?」
「言わないし。今日は、絶対負けないからな」
「望むところ」
「じゃあ、さっそくいくぞ。せえの!」
「「じゃんけんぽん」」
項垂れる健太を横目に、私は、勝利の雄叫びをあげる。
「勝者のアイスは、やっぱり美味しい!」
「あぁ…。今日は、いけると思ったんだけどな…」
私は、見事に勝利し、健太に灼熱地獄をクリアするための必須アイテム、アイスをおごってもらった。
私は、満面な笑みを浮かべながら、アイスにかぶりつくと、軽やかな足取りで駅に向かった。しかし、暑い日差しで気を抜くとすぐに溶けていくアイスに、私達は、無言になりながらも駅まで急いだ。
「なあ、葵」
一足先にアイスを食べ終えた健太が、足を止め私を呼び止めた。
「ん?なに?」
私が振り返ると、どこか複雑そうな顔の健太がいた。
「どうした?」
不思議そうに私が尋ねれば、健太が言いにくそうに話を続けた。
「実は、今日さ、光樹に聞かれたんだ。俺と葵、二人は付き合ってるのかって」
私は、アイスを食べる手を止め、一瞬固まった。だって、そうだろう。私が健太となんて。ふと我に返った私は、顔を歪ませ、叫んだ。
「はぁ!?私と健太が?絶対にありえないんだけど」
私が、本当に嫌そうに言うと、健太は心外だとばかりに、軽く私を睨み付けてきた。
「その言い方なんかむかつくんだけど」
「えっ?あっ、ごめん、ごめん。それで、どうしたの?」
私が、笑いながら健太の肩を叩くと、健太はため息をつきながら話を続けた。
「まあいいや。だからさ、俺達はそんな関係じゃない、とにかく違うって、光樹にも言ったんだよ」
「それで光樹君は、なんて?」
「それがさ、何かあいつ信じてくれなくて」
「そうなの?」
私達からすれば、そんな感じには絶対見えないと思っているが、残念ながらこんな風に誤解される事は意外に多かったりする。
「そんな風じゃないって見れば分かるとおもうのにな」
「だろ。でも、あいつに言わせると、俺達、何かと一緒にいる事が多いだろ。だから、怪しいって」
「一緒って言っても四六時中一緒なわけじゃないのに」
光樹君の言う方程式に当てはめたら、世の中恋人だらけになりそうだと私は少しあきれた。
しかし、確かに最近は何かと健太と一緒に過ごす事が多いし、ついつい当てはめたくなるのもしょうがないのかもしれない。
「まあ、今も一緒に帰ってるし、余計に誤解されるのかな。でも、一緒に帰るって言っても、帰り道がたまたま同じ方向だからってだけなのにね」
「そうだよな」
「なんかそう言われるのいい加減めんどくさいね」
私が呟けば、健太も同じく頷いた。
「だろ!だからさ。俺、考えたんだ」
「なにを?」
「恋愛抜きの男女の友情は必ずあるって、俺達で証明してやろうぜ」
「なにそれ」
私は、若干呆れながら、最後のアイスを飲み込んだ。
「俺達なら出来ると思うんだけどな」
「まあ、確かに出来ると思うんだけど」
「だろ!」
健太が嬉しそうにいうので、私もその提案を受け入れた。
「分かった。いいよ、私達で証明しよう」
「よし、これからも俺達はずっと友達だからな。お互い彼女や、彼氏が出来てこの友情は変わらない」
「もちろん!」
あの日、健太に弾けるような笑顔で言われた私は、当たり前だと言うように、健太とハイタッチをした。
でも、あの日健太としたこの約束がこんなにも自分を苦しめる事になるなんて、あの頃の私には想像出来なかった。
健太と私の出会いは高校一年の時だった。
健太は私の隣の席で窓際。健太は、穏やかな日差しに負け、午後の授業はいつも居眠りしているようなやつだった。
「健太、起きろ」
「イタッ!」
英語の教師が席の間を歩きながら、眠っている健太の頭を教科書で軽く叩いた。
「暴力反対…」
「眠気を覚ましてやったんだから、お礼を言って欲しいくらいだ」
そんな毎度な光景に、クラスは笑いに包まれる。そして、私はいつもそれを横から見ていた。
(自由なやつ)
それが、私が健太に初めて抱いたイメージだった。よく言えば、彼はクラスのムードメーカーで、悪く言えばいつも仲間と騒いでうるさいやつ。彼に対して特別、嫌悪感はないが、かといって彼と仲良くなれるかと言われたら疑問が残る。そんな感じだった。
だから、私達は席が隣といっても、私から彼に話しかける事はまったくなかった。ただ同じ空間にいるだけ。そんな可もなく不可もなくのような、私達はそんな関係だった。
でも、そんな関係をガラリと変える日が、ある日突然やってきた。
「いつも、何聞いてるの?」
「え?」
休み時間、私は一人、音楽を聞こうと携帯をいじっていた。すると珍しく席に一人でいる健太から突然話しかけられた。
予想していなかった横からの声にびっくりしてそっちを見れば、健太が机に突っ伏しながらこっちをじっと見ていた。予想外の事に少し驚きはしたが、それでもいつもおちゃらけているような健太に特に警戒心も湧かなかった私は、素直にいつも聞いているアーティストの名前を告げた。すると、健太は驚いたように顔をあげ、ぐっと距離を縮めてきた。私が健太の行動に驚いて固まったいるのに、健太はそれを気に止める事なく、凄い笑顔でこっちを見ていた。
「俺もそのアーティスト好きなんだ」
「えっ?」
予想外の反応に驚いていると、健太は、自分のイヤホンの片方を渡してきた。これは、きっと聞けてという事だろう。私がおそるおそるイヤホンをつけると、私がいつも聞いていたのと同じ曲が聞こえてきた。
「これ、今の俺の一番のお気に入り」
まさかの言葉に私も素直に答えた。
「この曲、私も好き」
「本当に?じゃあ、これは?」
次々と流れる曲に、私は心を踊らされた。
健太はそのアーティストのコアなファンだったらしく、私の知らない初期の曲なども教えてくれた。
「家にインディーズの時のCDがあるけど、聞く?」
「聞いてみたい…」
「分かった。明日、持ってくるよ」
「ありがとう」
その日を境に、気がつけば、お互いに音楽についていろいろと話をするようになった。
しだいに、私達は、音楽以外にも言葉をかわすようになった。
「何か、園原さんと話してると楽しい」
「私も檜山くんと話すの楽しい。もっと早く話せば良かった」
「俺もこんなに気が合うとは思わなかった。音楽以外でも、意外と好きなもの似てそうだよな」
「試しにせーので言ってみる?」
「いいよ」
「じゃあ、簡単なものから。好きな動物。せーの!」
「「ハムスター」」
「檜山くん、ハムスター好きなの?」
「だって、頬っぺたパンパンにしてるの、まじで可愛くない?」
「分かる!あの頬っぺた、ツンツンしたくなるよね」
「じゃあ、次は俺な。じゃあ、好きなアイスの味。せーの!」
「「ソーダ」」
「まじで?」
「バニラとかチョコより断然好き」
話をして見れば、私達は、予想以上に何かと共通点が多かった。そして、好きな物が似ているからか、話せば話すほど、仲が深まっていった。そして、気がつけば、まるで昔からの友人のようにあっと言う間に距離が近づいた。
やがて、私達は、名字呼びから「健太」、「葵」と名前を呼び合う仲になった。
そして、友人になった私達は、お互いにいろんな事を相談しあった。特に多かったのは、お互いの好きな人についてだったと思う。
「葵、俺また振られた…」
健太の好みは、まさしくハムスターのように小さくて可愛い女の子だ。そして、そんなみんなのアイドル的存在の女の子を好きなライバルは、もちろん多い。それでも、めげないのが健太のいいところなのだが、残念な事に果敢にトライしては振られる事を繰り返していた。
「健太は、女心が全然分かってないからね。好きだからってぶつかるだけじゃ駄目なんだよ。もっと女心を勉強して、こっちに好意を持ってもらわなくちゃ。ただでさえ、あーいうタイプの女子を狙うライバルは、多いんだから」
「それは、葵に言われたくない。葵だって男心分かってないお子ちゃまのくせに。葵こそ、女を磨かないと彼氏なんて出来ないぞ」
「うるさい!」
こんな風に、男女の友達のいいところを生かし、私は相手の女の子の立場になって、健太は、私好きな男の子の立場になって、恋がうまくいくように互いに助言したり、活をいれたりと相手の恋を応援していた。
それなのに、私達の関係を友達や好きな人には、よく誤解された。
「健太と付き合っているんだと思った」
このセリフを言われたのは数えきれない。
当然ながら、私達の間にあるのは色恋とは無関係の感情で、相手に対して全く遠慮もなければ容赦もない。私達の関係は、同性の友達と何も変わらなかった。
一時期、好きな人に誤解されるならと、互いに距離を置こうとした事があったが、かえってぎこちなくなり断念した。
それに、なんか悔しかったのかもしれない。私達は本当に純粋に相手を大切な友達だと思っているのに、他の人からは色恋のフィルター越しにしか、私達は見られないことに。そして、そんな言葉を他の人から言われるたびに私達の友情をバカにされたように感じていた。
だから、高二の夏、私達は誓ったのだ。
「いつまでも友達でいよう」と。
変わることのないこの関係をみんなに見せつけて、いつかみんなの鼻をあかしてやろうと決めたのだった。私達が男女の友情を証明してやるのだと。
しかし、誓ったからと言って、私達の関係に何か影響があるかと言えば、特に何もなかった。
休み時間もずっと一緒にいるわけでもなく、健太と一緒に過ごす事もあれば、他の友達と過ごす事もある。健太はサッカー部に入っていたから、部活がある日は、もちろん一緒に帰れない。たまに、部活がある日でも、私が図書館で勉強していて帰りが一緒になれば帰る事もあったが、そんなに回数が多いほどではなかった。それでも、嬉しい事や悲しかった事など、一番初めに私が報告するのは健太だった。もちろん、健太も私にいろいろ報告してくれた。
そして、私が欠かせずにやっている事は、休日のサッカー部の練習試合には必ず健太の応援に行く事だった。
補欠だった健太の出場機会は少なかったけれど、私は、健太が出場すれば全力で応援した。
「健太!行けー!」
スター選手を応援する声に負けないくらい、誰よりも大きな声で私は健太を応援した。
試合が終わり、友達数人と話をしていると、健太がやってきた。
「葵!」
「あっ、健太!ちょっと言ってくる」
私は、友達の輪から健太の元へと走った。
「お疲れ様」
「今日も、見に来てくれてありがとうな」
「どういたしまして。それより、出場時間、記録更新したんじゃない?」
「まあ、すこしだけな」
照れるように言う健太の腕を私は軽く叩いた。
「次も期待してるから頑張ってね」
「あのさ、葵」
「なあに?」
「毎回、無理して来なくても大丈夫だぞ」
「なんで?」
「だって、俺、毎回出れるとは限らないし」
健太は、私から目線を外して、少し申し訳なさそうに言った。
「もしかして迷惑だった?」
もしかして、見に来る事が健太にプレッシャーになってたのだろうか。私は、おそるおそる尋ねた。
「そんな事ない!でも、せっかく休みの日に応援に来てくれても、出れない試合ばかりだったら申し訳ないかなと、思ってさ」
「なんだ。それなら、大丈夫だよ。それに、いつ出るか分からないからこそ、毎回来ないと駄目じゃない?」
「そうなのか?」
「そうだよ。一回見逃したら、次いつあるか分からないんだから」
「あれ?待てよ、俺、かなりけなされてる?」
健太が不思議そうに呟くので、私は笑ってしまった。
「そんな事ない。それより、早くレギュラーになって、私が声が枯れるくらい応援させなさいよ」
「わかったよ」
「じゃあ、もう私も戻るね」
「わかった。じゃあな」
私がまたみんなの方へ戻ってくると、友達の栞里がニヤニヤしながら私を見ていた。
「葵、本当に付き合ってないの?」
「また、その話?違うっていったじゃん」
「そうだけど、何となくね」
「とにかく違うの」
「そう?でも、出場時間伸びたって凄い喜んでたじゃん」
「そりゃあ、友達だもん。健太、早くレギュラーにならないかな」
「健太、上手くなってきたもんね。レギュラーになるのも意外と早いかもよ。でも、いいの?」
「何が?」
「レギュラーになったら、健太を応援する女の子の数、増えちゃうかもよ」
「私には関係ないし」
私の言葉に栞里は何か言いたげだったが、視線で私はその口を閉じさせた。
栞里に言った事に偽りはない。私は、健太がレギュラーになることを誰よりも願っている。
だって、健太が誰よりも努力しているのを私は知っていたし、いつもおちゃらけてばかりの健太だが、サッカーには、本当に真面目に向き合っていたのも知っていたから。
だから、友達として応援したかったのだ。そして、健太の努力が実るのを願っていた。
栞里とそんな話をした日から、少しずついろんな事が変わり始めていた。例えば、補欠だった健太の出場時間が伸び、やがてレギュラーをとるようになった。もちろん、私は嬉しかったし、どんどんプレーに関わっていく健太を見ると誇らしかった。
そして、もう1つ変わった事と言えば健太がフィールドを走る、その姿にギャップ萌えだなんだと女子達が騒ぎ始めたことだ。やがて、健太を目当てに試合を応援にくる女子が少しずつ増え始めた。
なぜだろう。私は、そんな女の子達を見るたびに心がざわついた。
「どうした?」
「何が?」
「葵、目がこんなになっているよ」
今日も、一緒に応援に来ていた栞里が目を手で吊り上げるしぐさを見せる。
「そんな風になってないし」
「そう?てっきり、あの女の子達にイライラしてるのかと思ってさ」
「イライラって…」
「確かに今まで応援してきた身としては、複雑だよね。今までの健太の頑張りを知らない人に、知った気になられてもね。お前達は、何も知らないだろうって」
私は、栞里の言葉に何も返せなかった。私が今抱いている感情は、栞里の言うものなのだろうか。それとも、…。
私は、自分の感情に向き合うのが怖くなり、健太の応援に行くのをやめてしまった。
「何で、最近試合を見に来ないんだ?」
「それは、…」
クラスで過ごしているときに、健太に聞かれた私は、返事に困ってしまった。
「せっかく、レギュラー獲得したのにさ」
「ほら、レギュラーだったらいつでも見れるし」
「なんだよ、それ」
「なかなか見には行けないけど、応援してるからさ」
私は、見に行かなくなったが、栞里は相変わらず他の友人と一緒に応援に行っているので、健太の写真や様子を教えてくれた。だから、行かなくても試合での健太の様子を知っていた。もちろん、健太を目当ての女の子がどんどん増えている事も。
「それで、いつ行くの?」
栞里にも毎回聞かれるが、私は毎回答えを濁していた。
そして、気がつけば、私達は三年生になっていた。そして、健太の高校最後の試合が近づいていた。
「友達だろ。最後くらい見にきてよ」
久しぶりに健太と一緒に帰っていると、突然健太に言われ、またしても私はまたすぐに返事が出来なかった。そんな私の姿に少し悲しい表情を浮かべて健太は先に行ってしまった。
私がうつむいていると、栞里が隣にやってきた。
「葵、大丈夫?」
私達は、近くの公園へとやってきた。
「葵、もう認めたら」
ベンチに座ると、栞里は私の目を見て言った。
「何を?」
視線を外しながら言う私の言葉に栞里はため息をついた。
「葵は、健太の事好きなんでしょ?」
「それは、友達としてだから」
「じゃあさ、私の質問に答えて」
「質問?」
「そう。じゃあ、聞くね。私は、葵の事、大切な友達だと思ってるし、好きだよ。葵は?」
「私も栞里の事、好きだよ」
私は、もちろん迷う事なく答える。
「じゃあ、航大は?友達として好き?」
航大は、栞里の幼なじみでみんなで遊ぶ時には必ずいるメンバーの一人だ。同じ年だけど、まるでお兄ちゃんみたいに頼りなる友達だ。
「友達としては、好きだよ」
「そう。じゃあ、…」
栞里は、いつも遊ぶメンバーの仲間の名前をあげていった。それは、男女問わずに。
「じゃあ、健太は?」
栞里の言葉に健太の笑顔を思い浮かべ、少しだけ私の胸が弾んだ。
「好きだよ。友達として」
栞里は、私の顔を見ると、おもむろに鏡を渡してきた。鏡を覗きこめば、そこには微かに頬を赤らめる私がいた。
「自分の気持ち、本当は気がついているんでしょ?」
「でも、健太と約束したし…」
「ずっと、友達でいるってやつ?それって誰のための約束なの?」
「それは」
「私は、栞里が苦しむような約束なんてずっと守る必要なんてないと思う」
私が、下を向くと、栞里が優しく背中を撫でてくれた。
「好きなら告白しろとかそんな事は言わない。でも、自分の気持ちを知らないふりするのは駄目だよ。それで、葵が苦しむのは見たくない」
「栞里…」
「好きになるのは誰にも止められないでしょ。だって、葵は誰よりも近くで健太を見てたんだよ。それで好きになったからって誰にも咎められないし、遠慮する事なんてないんだよ」
顔を上げれば、栞里は優しい笑顔で私を見ていた。
「ねえ、栞里?私、今さらだけど、試合見に行ってもいいのかな?」
「当たり前じゃん」
栞里は、私を強く抱き締めてくれ、栞里の腕の中で私は涙が止まらなかった。
そして次の日、私は、最後のサッカーの試合を見に行くことを、健太に伝えた。
「絶対、勝つからな」
健太は、あまりにも嬉しそうに笑うので、その笑顔に私の胸は少し苦しくなった。
久しぶりに見た試合の健太は、いつにもまして真剣な顔でフィールドをかけていた。そして、そんな健太の姿に私は釘付けになった。
気がつけば、私は誰よりも大きな声で応援していた。そして、健太達が負けた時には流れ落ちる涙を止めることが出来なかった。
試合が終わり、健太を他の友達と待っていると、健太がチームメイトから外れ、私達のところにやってきた。みんなにありがとうと言うなか、健太は、涙で真っ赤な目をした私に気がつくと私の頭を撫でてあきれたように言った。
「何でお前がそんなに泣くんだよ」
「だって…」
「変なやつ…。葵、今日は応援にきてくれてありがとうな。勝つ約束守れなくてごめん」
健太の言葉にまた涙を浮かべた私に、もう泣くなよと言いながら、健太は私の頭をもう一度ポンポンすると、チームメイトのところへ戻って行った。
その日から私の中で健太に対する気持ちが変わってしまった。いや、少しずつ変わっていたのかも知れないが、栞里の言うように私は健太に対する思いを確信してしまった。
そして、今度は無意識に健太をみてしまうようになった。そして、悲しいことに気がついてしまう。目が合う健太の瞳には私に対して熱がないことを。
でも、私はもしかしてと期待してしまうのだ。健太も私のようにいつか私に対する友情が愛情にかわるかもしれないなんて。
自分でも、勝手な考えだと思う。あれほど友達でいる事に固執していたのに、今は向こうからの愛を願うなんて。それでも、今は期待してしまうのだ。そして、そんないつかを今日も願ってしまうのだった。
ある日私達は、受験勉強の合間、気分転換を兼ねて友達と集まって遊ぶ事になった。
楽しく友達と過ごすうちに、私はまた気がついてしまった。気がつけば、健太は、私の隣にいるし、一緒にふざけ合うくらいに距離は近い。それでも、私達の心がきっと重なることはないのだと感じてしまう。
それは、健太との距離が近くなるほどに感じてしまう。このゼロセンチの距離は健太が私を意識していないからなのだと。まさか、距離が近いことが悲しいと感じる日がくるなんて思わなかった。
その後もみんなでフットサルをした時もそうだった。健太のアシストで私がゴールを決めた時にも、健太は私に声をかけ、また頭をなでる。
「また、お子ちゃま扱いしてるでしょ」
「違うよ。ほめてるだけ」
そう言って離れていく健太の後ろ姿を見ながら、私はやっぱり考えてしまう。
(ねえ、気がついていないの?私の気持ち。ねえ、お願いだから他の子とハイタッチなんかしないで。お願いだから)
私はどんどん大きくなる気持ちをどうすればいいかわからなくなった。目が合うたびに心配そうにどうしたって健太は聞いてくれる。
でも、言えるはずない。実らない事が分かっていて、あなたの中の大切な友達のポジションを捨ててまで告白する勇気なんて私にはない。だから、言う言葉は決まっている。
「何でもないよ」
「そっか。でも、何かあれば必ず俺に言えよ」
(お願い、頭を撫でないで。期待しちゃうじゃん)
臆病者の私は、今日も健太に気がつかれないように気持ちを隠す。
必死に気持ちを隠し日々を過ごしていた、ある日の塾の帰り道、私は意図せず、健太と遭遇した。途中のバス停から健太が乗ってきたのだ。
「あっ!葵」
健太は私を見つけると、当たり前のように私の隣にすわった。
「葵は、塾の帰り?」
「うん。健太は?」
「俺は友達と遊んでただけ」
「健太、遊んでばかりだと受験やばいよ」
「そんなの、葵に言われなくても分かってる」
「そうですか…」
久しぶりの二人だけの状況にも、私は嫌みしか言えず、会話を続けられなかった。やがて、しばらく沈黙が続いた時、私は肩に重みを感じた。ふと見ると、眠った健太の頭が私の肩に載っていた。私は、何度も声をかけるが健太に起きる気配はなかった。
(ねえ、健太。今だけならこの気持ちに素直になってもいい?)
私、こっそり健太と手を繋ぎ、私も健太と同じように目をつぶると、健太の方に頭を傾けた。
「健太、大好きだよ」
誰にも聞こえないような小さな声で私は呟いた。
その瞬間、健太の手に力が入った気がしたのは、はたして気のせいだったのか、私には確かめる事が出来なかった。
なぜなら、私は、寝たふりをしながら健太の優しい手の温かさに、いつの間にか本当に寝てしまったから。
穏やかな夢の中では、誰かが私の頭を優しく撫でてくれていた。
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