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ララバイ
最初はなんだった?
ああ、花瓶だ。淡い水色の厚いガラス。安物だが綺麗だった花瓶。どの花を活けた姿よりも、砕け散るさまが美しくて笑えなかった。
愕然とした表情で足元を見つめ、壱歌は泣いていた。「ごめん、璃莉」大丈夫、そんなことより急いでガラスの破片を片付けないと。壱歌のことだから自分でやろうとして指を傷つけてしまうに違いない。その真っ白な指先を。
それから三日ほど経って、次はラジオだった。ぼろっちいけれど愛着のあったわたしの黒いラジオ。
キッチンで洗い物をしていて、大きな音に振り向いたらもう壊れていた。長年連れ添ったのに初めて目にしたそいつの中身が散らばり、傍らに立ちすくむ壱歌はやはり泣いていた。「ごめん、璃莉」いいよ、だいぶノイズが酷くなっていたし。これってプラスチック? まとめて燃えないごみでいいか。
一日あいて次は時計。壁に掛かっていたそれは、確かに手を伸ばせば簡単に外せる位置ではあった。「ごめん、璃莉」文字盤から外れた細い針の一本を拾い上げ、壱歌は泣いた。墨色の瞳が溶けて流れ出してしまいそうで、壱歌の涙は見慣れるものじゃない。
食器は全滅。テレビの液晶は縦にひびが走り、合皮のソファはざっくりと裂けた。背丈がわたしの胸あたりまである観葉植物を根元からぼっきり折ったときには、壱歌はいよいよ大声をあげて泣いた。
わたしは即座にそれを片付ける。中身の見えないビニール袋に入れて部屋の隅に押しやり、壱歌を抱きしめる。「ごめん、璃莉」何度やっても具合の良い言葉は見つからなかったから、結局いつもわたしは無言だった。無言で壱歌の背中をさすり絹糸のような髪を撫でるだけだった。
覚悟してから四日後にわたしの番が来た。存外もったものだ。原型を残したものなど室内にはほとんどない。窓も割れていた。「ごめん、璃莉」黒いビニール袋の山に埋もれてわたしは壱歌を受け容れる。熱い涙が頬に首筋にぼたぼたと落ちてきた。壱歌の泣く顔を見上げながら、わたしはようやくしっくりくる言葉を掘り当てたが、いまさらだ。もっと早く言ってあげられたらよかった。
壱歌。あなたは悪くない。壊されたのはあなたのほうだ。だから泣かなくていいんだよ。
「璃莉」
壱歌が泣いている。
ひとりで泣いている。
わたしはもう、わたしの体を片付けられない。
Lullaby for xxx
途切れた揺籃歌
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