3.僕の魔女

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3.僕の魔女

 僕が猫になったのは、十年前。  あの頃僕らはまだ十四歳の子どもで、魔女の母同士仲が良かったこともあって、幼い頃からいつも一緒にいた。  ブローディアは魔法の才能に溢れていて、子どもながらに優秀な魔女だった。 「おばあちゃんの部屋から、こっそり魔法書を持ち出してきちゃった」  彼女のその言葉が、すべての始まりだった。  ブローディアは好奇心旺盛な女の子だ。十四歳で覚える魔法はほとんどすべて完璧にできるようになってしまっていた。  彼女は、新しい魔法に飢えていた。 「これ、禁書らしいの。だからお母さんたちには内緒よ、アスター」  悪戯に笑う彼女を、きちんと止めなかった僕にも責任がある。 「使い魔の魔法。私も、お母さんたちみたいな使い魔がほしいの」 「魔女と言ったら使い魔だもんね」 「そう。猫がいいかな。カラスはほら、家の中ではちょっと困るから」  そう言ってはにかんだ彼女の、この時の選択は正しかった。  僕はカラスにならなくて、本当によかったと今でも思っている。  禁書に記された禁術。  禁術には、そう呼ばれるだけの理由が、必ず存在する。  結果的に、優秀な彼女は禁術を成功させた。  『人間を使い魔に変えてしまう』という、恐ろしい魔法を。  一時的に他の生物に変える魔法は普通に存在したけれど、この禁術は一度姿を変えたら元には戻せないらしい。あまりに暴力的な魔法だからか、禁止されていたのも頷ける。  猫になってしまった僕を見て、ブローディアは泣いた。泣いて泣いて、彼女の体の水分がすべてなくなってしまうのではないかと、僕を不安にさせるほどだった。 「絶対に、元に戻す魔法を見つけてみせるから……っ」  そう約束してくれた彼女は、十年経った今もこうして僕の隣で、必死にその魔法を探し続けている。  僕は彼女に伝えたい。  僕は怒っていないし、猫の生活も案外悪くはないのだと。  キミが笑って傍にいてくれるだけで、僕は幸せなのだと。  ブローディアにとって決死の覚悟で挑んだ今日の魔法も、僕を人間に戻すことはできなかった。約束を果たせず泣き崩れるブローディアの心は、そろそろ限界なのかもしれない。彼女を苦しめる約束なんてものは、びりびりに破り捨ててゴミ箱に捨ててやりたいくらいだ。 『ディア……泣かないで』  すすり泣く彼女の手を何度も舐めながら、僕は鳴き声をあげる。  猫になったことによる最大の問題は、ブローディアと話せなくなってしまったことだ。  使い魔の魔法のくせに人語も話せないなんて、僕は本当にただの無力な猫だ。  もしも言葉を話せたならば、キミに伝えたいことが山ほどあるというのに。 「アスター……ごめんね……」  掠れた声でブローディアは言うと、僕の頭を優しく撫でた。「にゃお」と短く返事をすれば、ブローディアの瞳から、また涙が一筋零れ落ちる。 「魔法なんて……最初から使えなければよかったっ……」  ああ……、またキミはそういうことを言う。  僕はこれでも、猫の生活を結構気に入っているんだ。  煩わしい眼鏡をかける必要もなくなったし、ブローディアのお風呂を覗いても怒られない。  ベッドで一緒に眠ることもできるし、この愛くるしい僕の姿はみんなの人気者だ。  猫になってしまった僕の不幸と言えば、燃えるように美しいキミの赤い髪を、記憶の中でしか見ることができなくなったこと。  キミを苦しめているのが、(ぼく)だということなんだ。  ──なんて言ったところで、彼女に僕の言葉は届かない。  僕は近くに咲いていた野花を前足と牙を使って茎の部分から嚙みちぎると、それを銜えてブローディアに差し出した。 『帰ろう、ディア。僕らの家に』 「私に、くれるの……?」 『プロポーズするときは、もっと素晴らしい花をキミにプレゼントするよ』 「ふふ……慰めてくれてるのね。ありがとう……アスター」  ブローディアは僕の口から野花を受け取ると、小さく笑みを浮かべた。 「私、諦めないから。絶対あなたを、元に戻してみせるから」 『……うん。まあ僕としては、結婚の約束さえ守ってくれれば、それでいいけどね』  満足そうな鳴き声を発する僕をブローディアは笑って抱きかかえると、徐に立ち上がった。  魔法を使って分厚い本も魔法陣も魔法の杖も、あっという間にどこかに消してしまう。そうして家までの小道を、ブローディアはゆっくりと歩き出した。 「アスター、お詫びに今日の夕飯はご馳走にしましょう」 『なんだって……!』 「お魚を丸ごと一匹、用意してあげるからね」  ……ああ、ディア。僕の魔女(ブローディア)。  ひとつ提案があるんだ。こういうのはどうだろうか。  まずは(ぼく)の言葉が分かるようになる魔法を探してみる。  そうしたら僕は、キミにもう苦しまないでほしいと伝えることができる。  泣いてるキミを慰めてあげられるし、キミのことが大好きだと、毎日のように伝えることもできる。  そしてこれはついでなんだけど、僕が実は魚より肉を食べたいということを、キミに知ってもらうこともできる。  どうかな、ディア。素晴らしい提案だと思わないかい?  考えておいてくれると嬉しいよ。
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