出会いの春

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 翌朝。  月麦は早く目が覚めた。  「今、何時だろう」  時計を見ると、まだ準備を始めるには早い時間だった。だが、二度寝するともう起きられそうにない。  「あ、課題終わってないんだった…」  月麦は布団から出て、高校へ行く準備を始める。今日はいつもより早めに行って、課題をやろうと思ったのだ。  普段より一時間前の電車に乗るため、月麦はそそくさと駅へと向かう。まだ、日は昇りきっておらず、上を見るとまさに空色が広がっていた。  人のいない道はまるでこの世界に自分しかいないみたいだった。  いつもは満員の電車も、今日は座れる。早起きは三文の徳とは本当なのかもしれない。  学校へ着くと、朝練の準備を始めている人たちが沢山いた。まるで自分も朝練をしにきたみたいで、なんとなく恥ずかしい。月麦はこそこそと教室へ向かった。  教室に入り席に座ると、グラウンドからは準備体操の掛け声が、上の階からは吹奏楽部の基礎練習が聴こえてくる。  程よい雑音は心地が良い。この音も高校生のうちしか聞けないのだと思うと、なんだか感慨深い。    月麦は課題に取り組む。家にいるよりよっぽど集中できて、課題はすぐに終わってしまった。  「これからどうしよう…」  まだチャイムが鳴るまで三十分以上ある。  月麦はふと教室を見渡した。始業式の日と比べると、教室はだいぶ汚くなっていた。    月麦は教室を掃除することにした。誰に気づいて欲しいわけでもないし、むしろ掃除をしている時に誰か来てしまったら気まずいなと思ったが、時間を潰すために掃除を始めた。掃除は苦手じゃないし、ちょうどいい。  まずは机と椅子を綺麗に並べ、床を掃き、黒板を綺麗にする。  「よし…!」  月麦は教室を見渡した。だいぶ綺麗になったと月麦は満足していた。だが、後ろを見ると、一輪の花が目に留まった。  「この花瓶、ずっとここに置いてあるよね」  後ろのロッカーの上に、寂しそうに立っている一輪の花。なんだか自分の姿と重なった。  月麦はそっと花を持ち上げ、水を替える。  「もう少し、元気になるといいね」  月麦はそう言い、花を戻すと、机に戻り本を読み始めた。  数分後、続々と他のクラスメイトが教室へ入ってくる。その中には風汰の姿もあった。風汰は後ろのドアからゆっくり入り、自席に着く。そして、    「あれ?」    ともう一度教室の後ろを見つめ、呟いた。  「どうかしたんですか?」  「え、あ、いや、あの花」  風汰が月麦が先程水を入れ替えた花を指差す。  「誰か、水変えてくれたのかな?」  月麦は思わず、え?と聞き返した。  「水の量が変わってて。あと、向きが変わってた。あの花いつも横向いてて直したいなと思ってたんだけど、俺の手、硬いから傷つけたりしたらどうしようとか思ってなにもしなかったんだ」  「え、あの花、触ったらまずいんですか?」  「いや、俺、花好きだから、変なこだわりあるだけ」  「なるほど。お花好きなんですね」  「うん。あの花はラナンキュラスって花。春らしくて綺麗だろ?先生が明日別の花に替えるって言ってたから今日で見納めだろうな」  月麦にとってはただの花だったが、風汰にとってそれは特別なものだった。触るのも躊躇うほどの花好きに出会ったことないので少し驚いたが、花が好きというのはすごく素敵だと思った。月麦はラナンキュラスという名前も覚えておこうと思った。  「つーか、黒板とか汚れてないし、机もなんか今日整頓されてんな。誰かが掃除してくれたのかな。いい奴もいるもんだ」  月麦は自分だと気づいて欲しかったわけではないが、誰かが掃除したことに気づいてくれたのは嬉しかった。  「なんか、教室が綺麗だと気持ちいいな」  風汰はそう言い、無邪気に笑った。初めて風汰の笑顔を見た月麦は思わず  「桜井くんの笑顔って、満開の桜みたいに眩しいですね」  と、月麦の口からはなぜかそんな言葉が溢れた。  風汰はその言葉を聞いて、目を丸くしていた。自分でも、らしくない言葉が出てきたことに驚いた。上手い言い訳も思いつかず、  「忘れてください…」  と言い、誤魔化すように窓の外を見た。毎日見ていた桜の木はいつの間にか花びらを落とし、寂しそうにこちらを見つめていた。また、満開の桜を見れるのは一年後か…。そう思うと、月麦は酷く悲しい気持ちに襲われた。 ーーーー今日も、月麦は綾菜と屋上へ向かった。最初は本当に仲良くなりたいと思って声をかけてくれたのだと思っていたが、一緒に過ごすうちに、どうやら違うということに月麦は気づいた。綾菜はお昼しか月麦と過ごさない。芹那たちもよく部活の人や前のクラスの友人と食べてはいるらしいが、月麦と綾菜はおはよう。明日ね。位の会話しかしないし、個人的に遊んだこともない。それに、綾菜は月麦とお昼を食べる時だけ、時々指でスマホをトントンと叩き、唇を舐める。何か隠している証拠だった。月麦はもう一度以前と同じ質問をした。  「綾菜さん、どうして私に話しかけてくれたんですか?」  「この前も言ったじゃん!昔飼ってたうさぎに似てるんだよ」  「ふーん、そうなんですね、」  「あー、でも、実は、もう一つあって」  この日は、綾菜が言葉を加えた。  「あ、その、私、風汰くんのことが好きなんだよね…」  綾菜が少し照れた表情をして言った。綾音は続けて話し出す。  「ほら、風汰くんって一匹狼って感じでしょ?」  「一匹狼?いつも周りには人がいませんか?」  「んー、そうなんだけど。うちの学校って校則緩い癖に金髪は風汰くん一人でしょ?それもあるのか、多分風汰くんってどこのグループにも入ってないんだよね。やっぱあそこまで金髪似合っちゃうのは違う次元って感じだよね〜」  たしかにいつも違う人たちと話している。月麦はいつもの様子を思い出した。  「それにほら、授業中もよく先生たちに絡まれてるし、クラスの中心って感じ出てるけど、実際は特に仲良い人はいないんだと思う。というより、風汰くんは自分から一匹狼になろうとしてるんだと思う」  「自分からなろうと、ですか?」  「うん。風汰くんって自分からは絶対話しかけないんだよね。移動教室とかも割と一人で移動するし、何する時も誘われたらって感じで。でも、そういう余裕のある感じが素敵なんだよね〜」  それは余裕があるからなのだろうか。風汰をよく知るわけではないが、なにか引っ掛かるところがあった。  「だからね、月麦ちゃんなら力になってくれるかなって思って!」  「え?私がですか?」  月麦は目を大きく見開いた。  「え、だって、風汰くんが唯一話しかけてたの月麦ちゃんだけだから。地元が一緒なんでしょ?小学校の時の知り合いだって噂になってるよ。久しぶりに再会したら思い出話もしたくなるよね〜」  月麦は言葉も出なかった。地元が一緒?そんなの全くの誤解だった。月麦は生まれも育ちもこの街だし、風汰もこの街へ来るのは初めてだ。月麦と風汰は初対面であった。  「あの、私たち元々知り合いじゃないですよ?」  「えーーーー!ちょっとそれ、どういうこと?」  「そのままの意味ですよ。私はこの街にずっと住んでいますし、桜井くんは今までは関東に住んでて、高校になってこっちに越して来たんです。だから、私達は高校で初めて会ったんですよ」  「えー、そんなーー。力になってもらえると思ったのにな」  「すみません…」  月麦はそういう事だったのかと初めて理解した。なにか勘違いして月麦に話しかけていた可能性もあるとは思ったが、まさかそういう理由とは予想外だった。勝手に期待されて、予想と違ったからとがっかりされるのは結構きつい。  「いや、うちの勘違いだししょうがないよ…。せめて連絡先くらい知りたかったけど…」  「連絡先ですか…」  「うん。そうだ。なんか良い聞き方ないかな?急に聞くのも変だしさ、なんかこう自然に聞けないかな?」  月麦は必死に頭を回す。なんとか役に立たなければ。的外れな事を言って呆れられるのが一番辛い。だから、相談事は苦手なのだ。そう思いながら月麦は表情を変えないように、真剣に考えた。  「そうですね…。あ、そういえば昨日、小テストがあったじゃないですか?」  「あー、数学のね」  「そうです。あの最後の問題って解けてたの三人しかいなかったって先生が言ってたの覚えてます?」  「うん、覚えてる。うちはほぼ間違ってたのにすごいと思った」  「あの問題を聞いてみたらどうですか?」  「えー、風汰くんわかるかなー?」  「万が一わからなくても、解き直したいから写真送ってほしいとか言うのはどうでしょうか」  「なーるほど!それで聞いてみる!ありがとう!」  それから綾菜は風汰の魅力をずっと語っていた。人を好きになったことのない月麦には、その気持ちはわからなかったが、綾音が話すその表情はとにかく幸せそうだった。月麦は少しでも綾菜の役に立てたことに安心していた。  教室へ戻ると、綾菜は軽やかに風汰の元へ向かった。  「ねぇ、風汰くん!」  「なんだ?」  「昨日の数学の最後の問題、わかった?」  「え?あー、合ってたと思うけど…」  「教えてくれない?」  「いいけど、俺今プリントない」  「家?」  「ああ、持って帰っちゃった」  「じゃ、じゃあさ、連絡先!教えてよ」  「まぁ、良いよ。これ、バーコード」  「ありがとう!じゃあ、また後で連絡するね」  「おう」 ーーーー放課後の時間を迎え、風汰が教室を去るのを確認すると、綾菜は月麦の下へ駆けていった。  「ね!月麦、天才だよ!」  「そうですか…?」  「これからもアドバイスしてくれない?いや、話聞いてくれるだけでもいいんだけど!」  「私なんかでよければ良いですけど…」  「やったー!」  「あ、そういえばなんだけどさ」  「???」  「月麦も、もしかして風汰くんのこと好き?」  「いえ!まさか!」  月麦は予想外の質問に思わず大声を出してしまった。月麦はそもそも恋などしたことがない。そういう世界とは無縁に生きてきたのだ。男の子と話すとドキドキする。とか、そういう気持ちさえ味わったことがない。相手が人である限り、話す時にドキドキするのは当然だと月麦は思っていた。それより、自分なんかで役に立てることがあるのだろうか。一度上手くいったからと言って次もうまくいくとは限らないのに。でも、もしそうなっても綾菜は責めたりしないと月麦は思っていた。  「そっか。なら良かった!もしかしてさっきの、自分が聞くために考えてたやつなのかなって思っちゃって…」  「違いますよ。綾菜さんは優しいですね」  「優しい?うちが?久しぶりに言われたかも…」  綾音は頬を少し赤らめたまま、視線を逸らした。  「じ、じゃあ、うち部活あるから!また明日ね!」  「はい。また明日」  このまた明日という言葉が月麦はどこか温かくて、その余韻を感じていた。  部活動へと向かう人、友達と遊びに行く人、真っ直ぐお家へ帰る人。少しずつ皆が教室を出ていく。  月麦はその日の日直だったため、教室で一人、日誌を書いていた。すると、突然扉が開いた。  「あれ?月麦?」  そこにいたのは陸だった。  「何やってんの?こんな時間まで」  「今日、日直だったの」  月麦が答える。  「あー、そっか。あ、そういえば、今日屋上で山﨑と何話してたの?二人って仲良かったっけ?」  「ううん。今日初めて話した」  「それにしては盛り上がってたよね。テンション合うの?」  「うーん、あんまり…」  「だろうな。他の奴はあんま気付いてないけど、結構自分勝手だし」  「でも、綾菜さんは根が良い人なんだよ」  「え?」  「いつもは周りに合わせてキャラを作ってるんだと思う」  「ふーん。山﨑も結構苦労してんのかもな。それで、何の話してたんだ?」  「なんか、あー、」  人の好きな人を勝手に明かしても良いものなのかと悩んだ月麦は事実だけを述べた。  「綾菜さん、私と桜井くんが幼馴染だと思ってて、私を通して連絡先を聞こうと思ったみたいで」  「えー、幼馴染は僕なのに!」  「そうなんだけど、なんか勘違いされてた」  「ちゃんと僕だって言ってくれた?」  「いや、言ってない」  「もーう」  陸は頬を膨らませていた。  「あー、でも、連絡先聞きたがってたってこと   は、山﨑もあいつのこと好きなのか」  まぁ、連絡先も聞きたいということはそういうことだとすぐわかってしまうよな。と月麦は思ったが、陸も言葉を濁したことに気づいていたようだったので、月麦はそのまま話を続けた、  「今、『も』って言った?」  「うん。とかいって、気づいてるんでしょ?クラスのほとんどの女子はあいつのことが好きだよ」  「ううん、知らなかった」  「え?本当に?ほら、よくあいつに話しかけてたり、ボディタッチとか?わかんないけど、してる人いない?」  「あー、それならいる。思い浮かぶだけで六人かな?そっか、そういうことだったのか」  「月麦って本当よく周りのこと見てるよね」  「そうなのかなぁ」  「そうだよ〜。本当、ずるいんだから」  陸の言いたいことはいまいちわからなかったが、聞くと何かが壊れる気がして、月麦はえへへ。と誤魔化すように笑った。  「でもさ、どうやって連絡先聞いたの?」  陸はまた話し始める。  「あー、数学の小テストの最後の問題の答え聞けばいいと思う。って言った」  「あいつがわからないって言ったらどうするつもりだったの?」  「あの問題解けてたの、多分三人なんだよ」  「え?」  「篠原くんと藤原さんと桜井くん」  「なんでそう思ったの?」  「篠原くんは授業終わりに自慢してたし、藤原さんは友達に解き方を教えてたから」  「それじゃ二人じゃん」  「そう。でも、先生がこのクラスでこの問題が解けたのは三人。って言った時にその二人の顔をしっかりと見て、同じように桜井くんのことも見てた。数学の栗林先生は話し相手をきちんと見る人だから、合ってると思うよ」  「相変わらずすごい観察力だな〜」  「そうかな?あ、それに、桜井くんの机はいつも空だから、持って帰ってるだろうなとも思って。万が一わからなくても、プリントは見せてもらえるでしょ?桜井くん全部の教科を丁寧にファイル分けしてるから捨ててもないと思うし」  「そこまで見てると流石に嫉妬する」  「なんでよ」  「なんでじゃないよ。僕のことももっと見てよ」  陸は大きな瞳で、子犬みたいに見つめてきた。  あまりの可愛さに月麦は一瞬言葉を失った。  「あ、陸のことはもっと見てるよ。今日は急いで学校来たでしょ?」  「え、なんでわかったの?」  「朝からずっと襟がめくれてる」  「ちょっと!もっと早く言ってよ!」  「ごめんごめん」  「でも、安心した。月麦はもう僕のこと見てくれないのかと思った」  「そんなわけないでしょ。陸は私の弟みたいなものなんだから」  「三月生まれなだけで学年は一緒じゃん!」  「私は四月生まれだもん。ほぼ一学年違うもん」  「僕をそんな風に見ないでよ」  「え?なんか言った?」  「何も言ってない!あ、僕、部活の途中だったんだ!!またね、月麦!」  「あ、うん」  月麦は陸がなんと言ったのか気になったが、陸は聞いて欲しいことははっきりという性格だ。聞こえないように言ったのにはきっと何か訳がある。そう思い、月麦は追求しなかった。
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