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空き巣のミス
山下は、スマホを見るふりをしながら、『佐藤』と書かれた大きな表札の家を見ていた。
時刻は午後二時半。
一人のおばあさんがよたよたと家から出てきた。
おばあさんが家から離れると、通りに人がいないことを確認してその家の門扉をそーっと開けて中に入った。
リビングの窓が開けっぱなしでカーテンが揺れていた。
山下は、ニヤリとして律儀にも靴を脱いで部屋にあがった。
山下の生業は泥棒。
一人暮らしの高齢者を狙って空き巣を繰り返していた。
これだけ文明が発達しても、高齢者の家のタンスには現金があるのだからやめられない。
山下は、リビングから廊下に出て玄関脇の和室に入った。
すぐに仏壇が目に入ったが、そちらを見ないように桐のタンスに向かった。
上から順番に開けて、奧に手を突っ込むが、洋服だけで現金はなかった。
次に仏壇の下の棚に目をつけた。
仏壇のおじいさんの写真と目が合う。
「すいません。ごめんなさい」
謝りながら引き出しを開けたが、中にはロウソクと線香しか入っていなかった。
そのとき、玄関のチャイムが鳴って山下の手が止まった。
静かに引き出しを戻しながら耳を澄ませた。
誰もいないのだから慌てることはない。
「お荷物でーす」
玄関の向こうで声がした。
「はーい」
家の中から女の声がして、山下の身体は硬直した。
すぐにふすまの後ろに身を隠し息を止めた。
ふすまを閉めてこのままここに隠れるか、それともいったん二階に上がって、女が戻ってから逃げるか。
考えている間に廊下をパタパタとスリッパで走るロングスカートの女の足が見えた。
山下は、女が玄関を開けた瞬間に和室を出て、廊下の奥の階段を駆け上がった。
おばあさんの娘だろうか。
まさか、娘が来ていたなんて俺の調査ミスだ。
山下が反省していると、女が階段を上がってくる音が聞こえた。
急いで近くの扉を開け中に入った。
和室にとどまっていればよかった。
そうすれば、玄関から逃げられたのに、と自分の判断ミスに後悔していたら、すぐ近くでしゃべり声が聞こえた。
部屋の中には、金髪の若い女の背中があった。
白いライトが光り、パソコン画面に向かって何かしゃべっている。
画面に流れるコメントと女の顔の後ろにあ然とする山下の姿。
まさか。生配信中か?
金髪の女が振り向き、山下と目が合った。
山下は、ゆっくりと会釈をして部屋を出た。
こういうときは、慌ててはいけない。
こちらが落ちついていれば、相手は騒いだりしないのだ。
まずいことになった。
顔が映ってしまった。
今頃、今のは誰だ? と大騒ぎになっているのではないか?
しかし、山下は思った。
泥棒に見えるはずがない。
作業着を着ているのだから。
そのための作業着ではないか。
そうだ、落ち着け。
とりあえず、この家はあきらめよう。
そう思ったとき、さっきとは別の扉が勢いよく開いて山下は近くにあった洗面所に激突した。そして、レバーに手をついた勢いで水が流れた。
「おっと、すみません」
声のする方を向くと、太った男が目の前に立っていた。
山下の身体に触り、「大丈夫ですか?」と抱き起した。
「大丈夫です」
「おお! 直してくれたんですね」
男は、山下にそう言って水道のレバーを上げ下げした。
山下の頭には、はてなが浮かんだが、鏡に映った自分を見て堂々と胸を張った。
「ついでに一階も調子が悪いんで見てくださいよ」
山下は、男に一階の洗面所に連れて行かれた。
男が見ているので、山下は仕方なく水道管を触り始めた。
ちょうど水道管の横にスパナがあったので、それを手に取って適当にいじった。
一体、この家はどうなっているんだ。
山下は、逃げる機会をうかがっていた。
気づくと、男の姿はなかった。
逃げようと立ち上った瞬間、女が現れた。
さっきのロングスカートの女だ。
「一緒にお茶でもいかがですか?」
「いえいえ、もう終わりましたので、私はこれで失礼……」
女の横を通りすぎようとしたとき、女に腕をつかまれた。
女は、山下の顔を見てゆっくりと笑みを浮かべた。
「だったらお茶を淹れますから、こちらにどうぞ」
女の力は強かった。
リビングに連行され、座らされた。
リビングの窓のカーテンが揺れていて、その下に自分の靴があることを山下は思い出した。
どうにか女の目を盗んで靴を持って玄関に行こうと窓辺に近づいたとき、背中で叫び声がした。
「ちょっと、ママ! 業者の人が映っちゃったのよ」
金髪の女がキッチンでぷんぷん怒っていた。
「いいじゃない、ちょっとくらい。逆にバズるかもしれないでしょ」
窓辺に立つ山下を金髪の女が見つけた。
「ちょっと、おじさん、どうしてくれるのよ!」
山下は、「すみません。部屋をまちがえてしまって」と頭を下げた。
「気にしないでくださいね」
女がお茶をテーブルに置いたので、山下は靴をあきらめてソファに腰を下ろした。
いつのまにかリビングには人が集まっていた。
太った父親、ロングスカートの母親、金髪の娘と他に若い男が二人いた。
一人は、清潔感のある今どきの若い男で、もう一人は、無精ひげにボサボサの髪にスウェットを着ていた。
全員でお茶をすする異様な光景に山下はいてもたってもいられなくなって、質問をした。
「みなさん、ご家族ですか?」
声を発してから奇妙な質問をしてしまったことに気づいた。
リビングに集まりお茶を飲む彼らは、どう見ても両親と子ども三人の普通の家族だろう。
焦った山下はまた質問をした。
「みなさん、どうして平日の昼間に家に?」
母親が湯呑みを両手で持ちながら微笑んだ。
「そうですよね。変ですよね」
何が楽しいのかフフフと笑うとこう言った。
「私たち、全員引きこもりなんです」
両親は穏やかに微笑み、子どもたちはスマホを見ていた。
その言葉に山下は自分のつめの甘さをひどく反省した。
一週間ほど観察して高齢者の一人暮らしだと判断したから、この家をターゲットにしたのに、まさか引きこもりがこんなにいるとは。
しかし、おばあさんの年金だけで六人が暮らしているのか?
それとも、家賃収入などがあるのだろうか。
家も大きい。お金はあるはずだ。
そんなことを考えていたら、母親が父親の肩を叩いた。
「この人は、株をやっているの。私は、愚痴聞き屋」
「愚痴?」
「そうなの。電話で知らない人の愚痴を聞くだけの仕事よ」
「そんな仕事あるんですね」
山下は、お茶を飲みながら話に引き込まれていた。
「それで、娘はユーチューバー。長男は、小説家。次男はプログラマー」
子どもたちは、チラッと顔を上げて山下を見た。
「買い物だってネットでできるし、便利よね」
時代だな。空き巣も潮時かもしれない。
山下は、小さくため息をついた。
「あら、おかあさん、おかえりなさい」
おばあさんが帰宅した。
「そろそろ失礼します」と山下が立ち上ると、おばあさんと目が合った。
「おかあさん、水道屋さん頼んでくれたんですね」
おばあさんは、目をぱちくりさせた。
「私は頼んでないよ」
「じゃあ、お父さん?」
父親は首を振った。
「じゃあ、誰が頼んでくれたの?」
母親が子どもたちに視線を向けると、三人の子どもは首を振った。
「じゃあ、この人誰?」
ゆっくりと、全員の視線が山下に集まった。
山下のこめかみから汗がひとすじ流れた。
時間が止まったように誰も動かない。
そのとき、どこからか、「ニャー」と聞こえた。
全員が声のする方を見たとき、山下はリビングの窓から逃げた。
猫もいたのか!
収穫もなく、顔まで見られて、生配信にも映って、最悪だ。
走りながら、山下が空き巣を引退しようと決意したとき、佐藤家では、おばあちゃんが洗面所で手を洗っていた。
「水が出るようになったね」
おばあちゃんはうれしそうに嫁に報告した。
「ほら、やっぱりおかあさんが水道屋さんを頼んだんじゃない」
「そうかもしれない」
「もう、やだわ。ボケちゃったの?」
佐藤家に陽気な笑いが起こった。
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