冷凍庫に入れとーこ

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 それが世界各地に降り注いだ。2062年の初夏だった。  その一つが、シュウタの鼻先10センチのところに落下した。それによる被害は無かった。地面衝突時の衝撃を打ち消す為の緩衝材のような部分が静かに破裂しただけだった。  突然の出来事に数秒固まるシュウタ。 「きゃぁ――!?」  周囲から女性の悲鳴が響いた。それにハッ!となったシュウタが、反射的に目線を上に向けた。真昼間の晴天の中を、灰色の四角く大きな物体たちが無数の線を引いて地面を目指していた。その異様な光景に、シュウタは何週間か前にネット配信でみたSF洋画を脳裏に思い出す。その映画は地球に隕石が落下して人類が絶滅しかけるのだが、地中のシェルターに避難できた数名の者たちが生き残り、人類文明の再興に一致団結し奮起する、かと思いきや、出てきたところで運悪く自然災害が起こり、最後には綺麗に人類が絶滅するという内容だった。シュウタは、ああ、あの映画のようになるんだな、と6歳児の想像力豊かな脳みそが空想と現実との境界線をあっさりと失くさせるくらいには、目の前の奇怪な現象は十分な効力を持っていた。  シュウタは目の前に鎮座するその落下物に手を伸した。 「どうしたの?シュウちゃん?大丈夫だった?」  シュウタのその手が触れる前に止まる。振り返ってその声に応えた。 「……おねぇちゃん。うん、大丈夫だよ」  慌てて駆け寄ってきた姉がシュウタの頭を優しく撫でた。 「おかえりなさい。仕事終わったの?」 「ただいま、シュウちゃん。うん、今日は早引けだったの。それで、なんなのこれ?」  そのまま手を置いた状態で、彼女がシュウタの目線まで屈んで、その落下物を凝視した。  落下物は見事に研磨されていた。どの角度から見ても角が無く、どの角度からでも日差しを綺麗に反射させている。  シュウタが埋め込み型のドアハンドルを見つけて、それをえいっと開けた。 「ちょっ、シュウちゃん!?」  驚く姉を横目に、シュウタはその中に注目する。 「もう、シュウちゃん。いつも言ってるでしょ?ちゃんと危険を考えていないと、危ない目に合うよって。死んじゃったらどうするの?おねぇちゃんを独りにする気?」 「……ごめんなさい。でも、おねぇちゃん、見て」  シュウタが差した方向を、姉も覗き込む。 「冷たっ――」  二人の顔に冷気が刺さった。 「物凄く冷たいねぇ。というか、もはや痛い冷たさだわ」  膝を抱えれば人一人分がちょうど入れそうなその箱の中には、冷気の他に何も無かった。  シュウタが不思議そうにこの物体を矯めつ眇めつ観察している間、姉がスマホを取り出して、ネットニュースを確認する。Yahoo!のニュース欄は既に全世界で確認されたこの奇妙な物体の情報でひしめき合っていた。  そのニュースの一つに、『謎の落下物 冷凍保存庫の可能性』という見出しのものがあり、 「シュウちゃん、これ、冷凍庫なんだってー」  と真実味の薄い冗談であるかのように口にする。  その時、姉のスマホから、彼らの四方八方から災害警報がけたたましく一斉に鳴り響いた―― 「もう、そろそろ地球もやばいかもね」  体中を傷だらけにした姉が煤だらけのシュウタを優しく抱きしめた。  そこでシュウタは、幼いながらに嫌な予感を感じとった。 「おねぇちゃん……」 「聞いて、シュウちゃん。あの日、この冷凍庫みたいのが落下した日から、あっという間に世界がこんなことに……立て続けに起こった大規模な自然災害で、ほんとあっという間に世界中が酷い事になって――、でもね、シュウちゃん」  姉は小さく、皮肉っぽく微笑んだ。 「この冷凍庫が、実は人類生存の為のシェルターなんだって、みんな信じてるし、今ではおねぇちゃんも信じてるの。だからね、シュウちゃん」  姉は小さく、今度はあたたかく微笑んだ。 「生きなさい。いいわね?」 「……おねぇちゃん。僕を独りにするの?父さんも母さんも居なくて、ずっと僕の傍に居るって約束してくれたのに、おねぇちゃ――、!?」  二人の近くで地鳴りが轟いた。また陥没が始まったのだ。  姉は意を決する。シュウタを抱えると、近くの、初めてシュウタと見つけた自分たちの分の冷凍庫を素早く開け放ち、その中にシュウタの身体を押し込むと、直ぐに扉を閉めようとした。 「おねぇちゃん!」  シュウタが姉の腕を掴んでいた。細身でひ弱なシュウタにもこんな力を出せることに姉が目を見開く。 「おねぇちゃんも――」  しかし、時間が無い。また近くで強烈な地鳴りが。  姉は懇願するシュウタの顔に辛くなるが、その気持ちを噛み殺し、意を決してシュウタの手を振り払った。そして笑顔で、あのいつものあたたかい笑顔で優しく告げた。 「また後でね」  シュウタの入った冷凍庫の扉が勢いよく締め切られた。  それからどれくらいか、数十年か数百年か、長い長い時間が経過した頃。 ――ビキッ  何かがひび割れる音が滅茶苦茶に荒廃した地表に走った。 ――ビキキキッ  徐々に割れ目が広がっていく。そして、 ――バキッ、ボゴンッッ!  それが割れ崩れた。  その中から、6歳児の男の子がゆっくりと身体を起こそうとした。だが、全身が凝っていてうまく姿勢を制御できなかった。直ぐに膝をついてしまう。 「……おねぇちゃん」  シュウタは最後の自分の記憶を思い出し、そうつぶやく。 「……探さなきゃ」  もう生きていないだろう。そんなことは幼いシュウタにも容易に想像がつく。だが、認めたくない。感情全部がそれを全力で否定するのだ。 (だって、おねぇちゃんは言った。「また後でね」って)  いつも優しくあたたかいおねぇちゃん。時に母親のように慰め励ましてくれた、時に父親のように叱って正しく導いてくれた、たった一人の姉弟、家族。  その姉のあたたかい笑顔を思い出した途端、涙が溢れた。  溢れて溢れて、止まらなかった。  おねぇちゃん、おねぇちゃん、と泣きじゃくり、ついにはその場に蹲ってしまう。 「……うぁっ、うぅ、おねぇ、ちゃん、おねぇちゃん」 「――どうしたの?シュウちゃん?」  その声にシュウタが勢いよく顔を上げた。そこには、 「……おねぇ、ちゃん?」  姉が立っていた。いつものように「大丈夫だった?」と手を伸ばし、シュウタの頭に手を乗せて、優しく撫でた。 「生きて、生きていたんだね、おねぇちゃ――、!?」  顔を上げていたシュウタが涙を拭って、姉の姿を鮮明に捉えた時だった。  姉は髪や顔、全身が赤黒い液体に塗れていた。それだけなら、シュウタが冷凍庫の中に入る前の最後の記憶にもある、彼女の体中の庇い傷からもその理由に合点がいく。合点がいくはずなのだが、一点。ただ一点が、その合理性を地に叩きつけて壊してしまっていた。  姉はその手に、何者かの死体を引き摺っていたのだ。  シュウタの驚愕する視線の先に気づいた姉が、事も無げにこう言った。 「ああ、これね。言ったでしょ?『また後でね』って」  シュウタが姉の顔を見た。  その姉の笑顔は、シュウタがこれまでに見たことが無かった満面の笑みだった。 「ただいま、シュウちゃん」  姉は口元についた赤黒い液体を、ペロリっと舐めとった。
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