朝露の定め

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「でも、どうして今になって僕に本当のことを話そうと思ったんですか? わざわざ僕に花壇の植え込みをさせて、彼女の髪飾りを僕が見つけるようわざと樹に挟めておくようなことまでして」  打ち明けると決めたのなら、そんな回りくどいやり方なんかせずに直接来て言えば良かったんじゃないかと、僕にはこの人のやっていることが理解できなかった。 「そうね……、あなたの言う通り。もっと早くに素直に話すべきだったのかもしれない」  僕の顔を見据えて続ける。 「あなたのことを知ったのは、実は主人が亡くなって割と直ぐだったの。ずっと気になっていた……。庭にあるもの全て(・・)を守っているあなたのことが……。それから、この目で一度見てみたかった。あなたがどうやってお庭をつくっていくのかを。あなたの植える花は本当に綺麗だったから……私はあなたの植える花で、自分の犯した罪を隠そうとしたんだわ。どんなに花が綺麗に咲いても、私のしたことは決して消えることはないのにね……」  まるで自分に言われているような気がして、恥ずかしくなって僕は俯いた。 「……でも……僕がしたことも許されることではありません。例えあなたのご主人が既に亡くなっていたとはいえ…………」  僕は自分がどうなろうと構わないと思っていた。それだけのことをしたんだと自覚していた。償うつもりでいたし、何を求められても差し出す覚悟でいた。 「私はこれから自首しようと思っているわ」  短い沈黙のあと奥さんは言った。僕は驚いた。 「――自首……ですか?」 「あれから百年以上経っているから、どう処罰を受けるのかは分からないけれど……。あの日私は、二人を止めることが出来たかもしれなかったのにしなかった。そのことがずっと、私自身を苦しめていたの。その苦しみからやっと解放されるのだから……こんなに嬉しいことはないわ」 「花の用意は出来ているかしら?」そう訊かれて、僕は慌ててしゃがみ込み、途中になっていた鉢植えの作業を進めた。  そして勿忘草を植えた鉢を僕から手渡すと、奥さんは受け取って、大事そうにその青紫色に咲く花を見つめて言った。 「この花は花壇にちゃんと私の手で植えます。主人の墓に咲いていたものですものね?」 「……そう……ですね」僕はぎこちなく笑う。  この人は自分がしてしまったことをなかったことにはしなかった。どんな理由であろうと、人を殺めてはいけない。僕はこれからどうするべきなのか、本気で考えなくてはいけないと思った。 「そういえばあの子はあれからどうしているのかしら?」  こともなげに尋ねられた。 「――……彼女は、ちゃんといます。僕がちゃんと守っています」 「そう……良かった。会って謝りたいと思うけど……」と言いかけて、ほんの一瞬だけ庭園の奥に目をやってから僕の方に視線を移すと、「止めておくわね?」と言った。 「彼女には僕から伝えておきます」 「あの子は勿論、あなたもこれから何にも縛られることはないのよ。あの日のことは全て私が責任を負います。それが私に出来る唯一の償いだから。機会があればまたここへ訪れたいものね」と言って、今度は庭園を一周見回した。  彼女について触れながらも最後まで追求しなかったのは、奥さんなりの僕らへの配慮なのかもしれない。彼女の髪飾りのことも、あの日僕が気付かない振りのままでいたら、きっとこの人はそのまま受け入れて、僕に黙ってひとりで罪を償うつもりだったのかもしれない。  でもこうなった以上、これから僕ら(・・)はどうするべきなのか、難しい判断を最後に委ねられたともいえる。 「いつでも来てください」  奥さんは僕に微笑むと、勿忘草の鉢を大事に抱えて、入って来た門から出て行った。  奥さんの背中を見送って、僕は足元に植わっている花に視線を落とす。  あの奥さんが言うように、僕はこの場所を守れていたんだろうか? このおばあさんの残した庭園と、彼女と罪を共有したつもりでいた自分の過ちを――。  僕は関わった全てを一度思いあぐねるが、最後に残ったのは結局、あの日正気でなかった自分だけだった。
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