盛夏の花

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盛夏の花

 僕の一日は大体決まっている。朝陽が昇って、花も自分も微睡んでしまう前に、裏庭に行って抜かりなく花たちに水を与える。季節やその日の天候、雨の振り方によって水の与え方は異なるが、基本的に朝の涼しい時間帯に与えるのが望ましい。  ただ水を撒くだけではなくて、観察することも大切だ。特に葉や茎は気を付けて観てあげなければならない。植物にとって良くない虫が付きやすい場所だからだ。特にデリケートな花には目を配るようにしている。早期発見が物を言う。人間と同じだ。  もし虫が付いてしまった時には、僕なんかは素手で捕ったり、テープで貼り付けたりする。それでも無理なら薬の力を借りることもあるけど、僕は出来るだけ自然に近い状態にしてあげることを心がけていた。これもすべて、亡くなったおばあさんが教えてくれた知恵だ。  花たちの水分補給を終え、家に戻って自分の身支度を終えると、僕はやっと家を後にした。  僕は今、園芸の仕事をさせてもらっている。依頼者宅の庭や自宅前の植木スペースに花や木の植え込みをしていく仕事だ。指示通りお客さんの好みに仕上げることもあれば、全て僕のお任せという時もある。僕が住んでいる家も含めて、この辺一帯が、地域のより良い町づくりの一環として景観を保たなければいけない決まりになっていた。そのため、例え借家であっても、どの家のまわりも常に手入れが行き届いている。  おばあさんの庭園を引き継いだ僕の庭仕事の腕前は徐々に周知され、仕事だけに留まらず、ボランティア団体に誘われ参加することも多かった。よくあるのは、広い通りの歩道脇にある花壇の植え込みだ。行けば、馴染みのある顔触れに会うことができた。  僕の仕事場はこの地域一帯になっている。家の庭の手入れだけに留まらず、仕事までもが土いじりとは、倦まず弛まずと云ったところだろうか。これもおばあさんの教えがあったからこそだと僕は思う。  僕にはこの仕事が自分に合っていると思っている。まわりにもよく言われるし、何より土や植物をいじっている時は僕自身が穏やかに、そして楽しんでいられた。  今は八月。普段何も語らない彼らが、自分たちは生きていると訴えかけ、一年を通して一番綺麗に魅せてくれる季節だ。  太陽がギラギラと降り注ぐこの季節が来ると、僕は決まって彼女と出会った時のことを思い出す。  彼女と一緒に思い出されるのは、やっぱり彼女と交わした約束だった。それは、僕が裏庭にあるおばあさんの小さな庭園を守る理由の一つでもあった――
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