珍説・浦島太郎

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珍説・浦島太郎      一  海は凪いでいた。入道雲がもくもく湧いて、遠くの水平線が霞んでいた。浦島太郎は漁に出ようと浜にやってきた。波打ち際のあたりに数人の子供たちが何かしているのが見えた。近づいて見ると一匹の亀を囲んだ子供たちが、亀の頭を棒で叩いたりして遊んでいた。亀は頭を甲羅の中にすくめて、のっそりと海の方へ逃げようとしているようであった。  子供たちの中の少し年嵩と見える悪童が 「佐吉、もっと亀を叩いていじめろ!」 と気の弱そうな年下の子に命令していた。佐吉と呼ばれた子は、亀をいじめたくはなかった。それでも亀をいじめなければ仲間外れにされることを心配していた。  浦島は、子供たちのほうに近づくと 「そんなに皆で亀をいじめてはいかん」 と怒鳴って亀いじめを止めさせようとした。 すると、年嵩の悪童は、浦島を見上げてにやにやしながら言った。 「おじさん、おじさんは漁師で沢山の魚を獲って殺しているんだろう?」 浦島は一瞬、つまったが 「おじさんはな、魚をいじめてはおらん、人間が生きるために魚の命を有難く頂いているんだ」 「魚をとって食うのと亀をいじめることは何が違うんだ」 「生き物はな、食物連鎖といって、大きなもの、または強いものが小さなもの、または弱いものの命を頂いて、それぞれが生きて居るんじゃよ。人間は亀は食わんから、殺しもしないしいじめたりもしてはならんのじゃよ」  悪童は、頭をひねっていたが 「おじさんの話はよくは分からんが、まぁ、いじめるのは止めるよ。おまえたちも、これからは亀をいじめるなよ」  と年下の彼の手下のような子供たちに言った。  亀は、解放されてほっとしたように海の中に帰っていった。 二  数日後、浦島が漁に出るため浜にでると亀が近づいて来て言った。 「浦島さん、先日は、お助け頂いて有難うございました。あのことを私の主人である乙姫さんに報告しましたところ、浦島さんにお礼が言いたいから一度連れていらっしゃい、ということでした。これからご一緒に如何ですか?」 「お前の主人は乙姫さんという方なのか。その方はどこにいらっしゃるのだ?」 「海の底に立派な宮殿を造って、そこにタイやヒラメ等多くの従者を従えて君臨しておられます」 「海の底では、私のような人間は息ができないから行くのは無理だな」 「浦島さん、そこに行って頂けるのなら、水中でも息のできるエラを誂えさせて頂きますよ」 「そんなことができるのか?」  浦島太郎は、半信半疑ながら亀の言うエラを装着して亀に案内されて乙姫の住むという竜宮城という宮殿に行くことになった。  三  「浦島太郎様ですか。お待ち申し上げておりました。詳しいことは、この亀から既に伺っております。その節は、いじめられていた亀をお助けくださり、本当に有難うございました。」  亀に連れられて海底の竜宮城に到着すると美しく若い気品のある乙姫という女性が浦島に鄭重にお礼を言った。 浦島は、ややどきまぎしながら、ほれぼれと乙姫を見つめた。  「浦島様、どうかお気遣いなく、ゆっくり寛いでください。海の幸のお料理を召し上がり、色とりどりの原色の魚たちの舞いや芝居を見てやってくださいませ」  浦島は、乙姫の勧めてくれるまま、美味しい料理を堪能し、魚たちの舞台を見て心ゆくまで楽しんだ。  案内してくれた亀はいつのまにか居なくなり、乙姫と彼女にかしづく侍女たちの歓待を受け月日の経つのも忘れて、海の底にいるのに天国に居るような気分で楽しく暮らした。そして絶世の美女である乙姫に恋心を育んでいった。  ある日、浦島は意を決して乙姫に自分の心情を訴えた。乙姫は 「浦島様、あなたが私を愛してくださることは嬉しいのですが、私は海の女神も兼務しております。人間と恋することは禁じられているのです。私が人間と恋に落ちれば、天の大王から罰を受けて醜い化け物にさせられてしまうのです」 「浦島さまが私に恋心を持って頂いたからには、もうこの竜宮城に留まって頂くことはできなくなりました。お土産としてこの玉手箱という宝物の箱をお持ちになって地上にお帰りください。ただ、この箱は絶対に開けないでください」  そう言うと、乙姫は浦島の部屋から出て行って二度と戻ってこなかった。そこへ亀がやってきた。 「浦島さん、乙姫さんから命じられて参りました。また、浦島さんの住んでおられた村にご案内しますから、私の背中に乗ってください」 四  浦島は亀の背に乗り、乙姫の呉れた玉手箱を大切そうに抱え、浦島の住んでいた懐かしい浜に戻ってきた。波打ち際で亀の背から降りると、亀は目を細めて悲しそうに挨拶すると、海の中に戻っていった。  浦島は一人になって暫くは浜に座って遠くの入道雲や水平線を眺めて、竜宮城の楽しかった思い出に浸っていた。  陽が陰り夕方に近い頃になって、自分の住んでいた村に行かねばと重い腰を上げて通いなれてよく知っている道を辿った。懐かしい村の景色が見えてきた。しかし、時々道で出会う村の人たちは見知らない人ばかりだった。  やっと自分の古い家に着いたが家族は誰も居なかった。浦島太郎は無性に寂しくなって孤独の深さを今更ながら身に染みて感じた。そして、大切に抱えてきた乙姫の呉れた玉手箱に何が入っているのか知りたくなった。乙姫は絶対開けるな、と言っていたが、その意味を深く考えることはなかった。  浦島は思い切って玉手箱の蓋を開いた。すると中から白い煙が立ち上り部屋中に充満した。浦島は煙にむせてゴホン、ゴホンと咳をした。そして頭を掻きむしった。その手を見ると、指には白髪が絡みついていた。鏡を見ると、そこには見知らぬ皺の深い老爺が映っていた。  乙姫はなぜ開けると白煙が出て、老爺になってしまう玉手箱を浦島太郎にみやげとして渡したのだろうか。一つのこじつけ解釈は、浦島の地上で持つ時間軸と海底に住む乙姫のそれとに大差があったことが考えられる。乙姫は自分の配下の亀を助けてくれた浦島に一言お礼が言いたかっただけである。しかるに浦島は竜宮城の居心地の良さに時間を忘れて長居してしまった。ここは、連れて来た亀が浦島に一言注意を与えるべきであった。乙姫は、浦島が自分に恋慕している様子を見て満更でもなく浦島が恋慕の告白をするまで放置しており浦島の長居を許していた。  地上の時間と竜宮城の時間は単位が異なっており大差があった。  アインシュタインの特殊相対性理論によると、時間と空間は相対的なもので、誰から見ても同じというわけではない、とされる。物体は光速に近づくほど時間が遅くなり、長さが縮む。  この理論を無茶ぶりで解釈すると、竜宮城での時間の進行は地上に比べて遅く、浦島はそれに錯覚させられていたのである。  玉手箱の煙は、その時間差を煙状に加工して時限爆弾のようにして閉じ込められていたのだ。そしてこの浦島にとって歓迎せざる仕掛けは、乙姫の意地悪ではなく、天の大王によって乙姫に命ぜられていたのである。  さらに付け加えるとすれば、一生の大半を竜宮城で乙姫や侍女たちにかしづかれ、満幅の楽しさを味わった浦島が、家族も友人も居なくなった村に帰ってからの長い孤独の余生を送るのは、あまりに忍びないという乙姫の浦島に対する思いやりでもあったのかも知れぬ。  浦島の老後は竜宮城での楽しかった思い出にどっぷりと浸り、誰にも知られることなく静かに息を引き取ったのである。
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