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悲しい夢を見た。すると、バクが私の夢を食べてくれた。
バクが部屋に訪れるたびに、世界の色がクリアになる。いつからか、私はバクに会えるのを楽しみにしていた。
「どうして私に会いに来てくれるの」
ある日、私が訊ねると、
「お腹が空いていたから」
そう答えたバクは、開けていた窓から夜空へと飛び立っていった。
バクが姿を現さなくなってしばらく経った七月。夏の夜の始まりは遅い。私は空を仰ぐ。グラデーションを彩るように暗くなる東の空には、夏の大三角形が描かれていた。その中心を流れる天の川。私は唐突に思い出す。バクに食べられた悲しい夢を。
「バク」
私は誰もいない場所に向かって叫んだ。
「私の夢を返して」
するとどこからともなく現れたバクが、私を見上げた。
「何故? 君は忘れたいと願ったはずでしょう」
夜空からは多くの星が落ちてくる。まるで記憶の結晶だ。
私はかけがえのない物を失ったのだった。まるでベガとアルタイルのように、織姫と彦星のように、もう会う事も叶わない。
夜空は地上の鏡だ。バクに食べられた現実は星へと昇っていった。それらを拾ったある者は物語を語り、ある者は人々を占い、ある者は神を創造した。人間は脆く、悲しい生き物だ。
そうね、と私はうなずく。でも。
「忘れられるわけがない。きちんと受け止めなければ」
私は悲しみを昇華させる方法を間違ってしまったのだ。バクに食べさせてはいけなかった。私の悲しみは私のものでしかない。世界が色を失ったとしても、向き合っていかなければならない。それが記憶と共に生きるという事だった。
私の言葉に微笑んだバクは、光を散らしながら夜空へと飛んでいった。記憶の奥底に眠る夢は、やがて大きな星となって自分の心へと還って来るのだろう。
その夜、天文学者ですら予想しなかった流星群が夜空を舞ったという。私は窓から手を伸ばして、星を拾う。そして今夜、私は天の川の向こうに眠る思い出を抱きしめる。
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