魔女のエトッフ

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 ***  それからも、フルールは寝食を忘れて布を織り続けた。気絶するまで布を織り、目覚めたらまた指を動かし続ける。しかし、どれほど織り上げても、かつてのように美しい物は一枚も出来なかった。  どうしたらいいのだろう。  そろそろ、あれから二週間が経過してしまうのに。  壁に凭れて座り込むフルールがそんなことを呆然と考えていると、──とうとう、扉がノックされてしまった。 「おーい! フルール、久しぶり! 元気にしてた?」  何事も無かったかのような、いつも通りのリュカの声。  どうしよう。どうしたらいい。  この家に鍵などというものはない。  立ち上がって扉を押さえる力も、今のフルールには残っていない。 「来ないで……」  フルールはか細い声を発することしか出来なかった。しかし、薄い木の扉に隔たれていても、静かな森の中ではその声音すら拾うことが可能らしい。 「フルール? どうしたの、具合悪い? ずいぶん弱ってる声だったけど……、開けるよ?」 「だめ……、来ないで……」 「開けるからね」 「来ないで……」  フルールの訴えも虚しく、リュカは扉を開けて中を覗き込み、魔女の姿を確認するなり驚いて息を呑み、荷物を投げ捨てて駆け寄ってきた。 「どうしたんだ、フルール! 酷い顔色じゃないか」 「見ないで……」 「フルール?」 「見ないで……」  見ないで。──醜い私を見ないで。  醜い心を、どうか見ないで。 「見ないで……」  顔を覆って泣き始めたフルールを目の当たりにして戸惑うリュカは腰を下ろし、そこで初めて室内の惨状に気がついたらしい。床が見えないほど大量の布地が折り重なり、波打っている。そのどれもが、醜悪な色で染め上げられていた。 「フルール……、これは……」 「私……、もう、布を作れない……」 「そんなの、どうだっていい。君が心配だよ。もしかして、魔法を使いすぎて具合が悪いの?」 「ち、ちが……っ、私、あなたに布を作らなきゃ、」 「だから、布はもういい。そんなことより、フルールの状態が心配なんだ。大好きな君のことが、」 「ッ、……私を好きだと言わないで!」  フルールは、初めて大声を出した。リュカが驚いているが、フルール自身も驚いた。しかし、その驚きに浸っている余裕は無く、魔女は駄々をこねるように首を振る。 「あなたが好きなのは、私じゃない! あなたが好きなのは、私が織った布! でも、私はもう、あんな色で織ることが出来ない! こんな、こんな醜い気持ちでいっぱいなんだから……!」 「ちょ、ちょっと待って、フルール。僕は君の布じゃなくて、……いや、君が織ってくれる布も確かに好きだけど、でも、そうじゃなくて、僕は本当にフルールが好きだ」 「違う……! だって、あなたは人間の女の子と婚約した……っ」 「婚約? ……何のこと?」  リュカはフルールの両肩に手を置き、顔を覗き込んできた。フルールが視線を逸らそうとしても、彼の真摯な瞳がそれを許さない。 「フルール、お願いだ。何があったのか、ちゃんと話してほしい。僕も、嘘やごまかしは無しできちんと向き合うから」  あまりにも真剣な眼差しに射抜かれて狼狽えつつ、フルールは正直に話した。リュカを好きだという若い女が吐き出していた呪いの言葉も、それに動揺した自分自身のことも、思わず町へ駆けて行ってしまったことも、そこで見てしまった光景のことも。  全てを聞いたリュカは、長い溜息を吐き出した。それはどこか、安堵しているようにも感じさせる吐息だった。 「話してくれてありがとう、フルール。……あのね、先に結論を言ってしまうと、それは全て君の勘違いだよ」  そんなはずがない。もう、甘い言葉には惑わされない。  そう思って首を振るフルールを落ち着かせるように彼女の頬を両手で包みながら、リュカは柔らかい笑みを浮かべた。 「確かに、最近、幼馴染から告白されたよ。そして、僕はそれを断った。でも、婚約者がいるとは言っていない。『結婚したいと心に決めている人がいる』って言ったんだ」 「……っ」 「うん、気持ちは分かるけど、とりあえず最後まで聞いてくれる? ……町で君が見たっていう女の子は、僕の従妹だね。ほら、大事な用事があるって言ってたでしょ? 従妹とその親御さんが久しぶりに遊びに来るから、接待しなくちゃいけなかったんだ。お互いに兄弟みたいに思っている関係だから、多少は軽く触れ合う機会があるっていうだけだよ。勿論、腕を組む程度のことまでしかしないけど」 「……」  ──本当だろうか。  しかし、リュカが嘘を言っているとは思えない。それに、どちらにせよ、彼が結婚を心に決めた相手がいるのは事実だ。  まだ悲哀が消えないフルールの目を覗き込みながら、リュカは優しく言った。 「そして、僕が結婚したいと心に決めている人っていうのは、……フルール、君のことだよ」 「……え?」 「僕が貯金をしているっていう話は、覚えてる? お金を貯めて、この町を出て、海を渡って……、新しい土地で君と一緒に暮らしたいなと思っていたんだ。だから、お金を貯めたかった。フルールは仕方なく此処にいるだけで、森に愛着があるわけでもなさそうだったし、だったら魔女の噂なんか無いような新天地で一緒に暮らしたいな、って」  ──何を言っているのだろう。何を言われたのだろう。  静かに混乱しているフルールの両手を取り、その甲へとリュカは口づけた。 「好きだよ、フルール。大好きだ。……僕と、結婚してください」  リュカの言葉が、フルールの心へぽたりぽたりと落ちてくる。温かさが沁みわたる度に、抱え続けていた澱みが消えていくようだ。  二人の視線が交わる。リュカはおそらく、フルールの瞳の中に答えを見つけているのだろう。  ──しかし、フルールはぎこちない笑顔と共に、初めて言葉に乗せた答えを贈った。 「……私も、あなたが好き。……大好き」  リュカは驚いて目を瞠った後、幸せそうにくしゃくしゃな笑顔になる。 「君の答えは、君の目が教えてくれていたけど。……やっぱり、言葉にしてもらえるとすごく嬉しい」  ***  それは、昔々の、とある国のおはなし。  森の奥深くに住んでいた、幸せな魔女のおはなし。  たった一人の大切な人とたったひとつの魔法と共に森を出た魔女は、海を越えた先で幸福に生きたらしい。  彼女が新天地で織り上げた布地(エトッフ)は、泣きたくなるほど愛情深く優しい色で染め上げられている、美しいものだったという。
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